学位論文要旨



No 123139
著者(漢字) 筬島,靖文
著者(英字)
著者(カナ) オサジマ,ヤスフミ
標題(和) マリアバン解析を用いた漸近展開と数理ファイナンスへの応用
標題(洋)
報告番号 123139
報告番号 甲23139
学位授与日 2008.02.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(数理科学)
学位記番号 博数理第313号
研究科 数理科学研究科
専攻 数理科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 楠岡,成雄
 東京大学 教授 菊地,文雄
 東京大学 教授 舟木,直久
 東京大学 教授 吉田,朋広
 東京大学 准教授 稲葉,寿
内容要旨 要旨を表示する

要旨

本論文は,マリアバン解析の漸近展開理論の数理ファイナンスへの応用についての研究である.マリアバン解析に基づく確率密度の漸近展開はBismut[2]に始まり,Watanabe[10]やKusuoka-Stroock[8],[9]により基礎が築かれた.さらに,数理ファイナンスへの多くの応用がYbshida[11],Takahashi-Kunitomo[71によりなされた.ここでは,具体的にはヨーロピアンコールオプションのインプライドボラティリティの漸近展開への応用を考える.

まずインプライドボラティリティについての簡単な定義を述べておこう.原資産価格過程をXとし,満期T,ストライクレートKのヨーロピアンコールオプションのフォワード価値V(T,K)は,満期Tのフォワード測度の下で

により与えられる.ここでφ:R→R,G:R→R+を

により定義する.原資産過程が以下のガウス過程に従うとき,

コールオプションのフォワード価格は

により与えられるが,このとき,σN(T,K)>0で

V(9T,K)=VN(9T,K,σN(T,K)),

を満たすものをインプライドノーマルボラティリティと呼ぶ.同様に,原資産価格が以下の対数正規過程に従うとしたとき

コールオプションのフォワード価格はBlack-Scholes式

により与えられる.ただし,Φは正規分布関数とし,

とする.このとき,σBS(T,K)>0で

を満たすものをインプライドボラティリティと呼ぶ.

実際の金融市場においては,コールオプションの価格は,このインプライドボラティリティを用いてクォートされており,またストライクレート毎に異なるボラティリティの値を取る.また多くの市場で"ボラティリティスマイル"と呼ばれる形状が観測され,それを説明できるモデルを考えることは実務上非常に重要な問題である.通常,いくつかのモデルを除いて,コールオプション価格の解析解は知られていないことから,インプライドボラティリティの近似式を得ることが重要になる.例えば,Berestycki-Busca-Florent[1]らによる非線形偏微分方程式を用いた研究等が有名であるが,実務的にも広く使われているのが,Hagan-Kumar-Lesniewski-Woodward[5]による特異摂動法を用いたSABRモデルの漸近展開である.

(Ω,F,Q,{Ft}o≦t≦T)を完備確率空間として通常の条件を満たすものとする.T-フォワード測度のもとで,以下のモデルを仮定する.

(1)dX(t)=εα(t)σ(X(t))dW1(t),

dα(t)=εvα(t)dW2(t),

d〈W1,W2〉=ρdtX(0)=x0,α(0)=α.

このモデルは,確率ポラティリティモデルのひとつで,特に,σ(x)=xβの場合には実務家の間では'SABRモデル'と呼ばれる.ここで考えたい問題は,SABRモデルのインプラドノーマルボラティリティである.

Theorem1(Hagan-Kumar-Lesniewski-Woodward).ε↓0のとき,SABRモデルのインプライドノーマルボラティリティは以下で与えられる.

ただし,

とする.

本論文において,まず,ボラティリティスマイルが期間構造を持った場合を説明するのに必要な,モデルの変数vやρが時間に関する確定的な関数の場合を扱ったDynamc SABRモデルに拡張して以下の結果を得た.

Theorem2.各g∈Rに対して,K,=Kε(y)=mo+εΣny=x0(1+εΣly),ε∈(0,1]とする.各γ∈[0,∞)に対して,定数R>0が存在してインプライドノーマルボラティリティとインプライドボラティリティはそれぞれ以下を満たす.

(1)

(2)

ただし

とする.いくつかの定数についてはここでは省略した.

さらに実務上重要な長期の通貨オプションに対応するために,金利に確率過程を(ここでは,ガウス型HJMモデルを仮定した),為替にSABRモデルを適用したモデルを考え,そのモデルの下で通貨オプションのインプライドポラティリティの漸近展開式を導いた.

次に,より一般的でかっ精度の高いインプライドボラティリティの漸近展開公式を考えるために,Kusuoka-Stroockの漸近展開理論を用いる.そのために必要な定理をいくつか準備しよう.(θ,‖・‖e)を可分なバナッハ空間,(H,‖・‖H)を可分なヒルベルト空間とし,さらに丑は0の稠密な部分空間で包含写像は連続とする.次にμs,s∈【0,∞),を(θ,βθ)上の確率測度で以下を満たすとする。

f:(0,∞)×θ×Y→R,g:(0,∞)×θ×Y→RとF:(0,∞)×θ×Y→RNを完備P-正則なウィーナー汎関数とし,YをRNのコンパクトな部分集合とする.このとき,Kusuoka-Stroock[8]は以下を証明した.

Theorem3(Kusuoka-Stroock).各s∈(0,1]に対して,RN上の符号付測度ps(・)を

により定義すると,滑らかな密度関数Ps(・)を持つ.さらに,{αn}∞0⊆C(Y;R)と{Kn}∞0⊆(0,∞)が存在して,各π∈Nに対して,

を満たす。ただし,ε:Rn→(-∞,∞]を

とする.

本論文において,さらにa0(y)を以下のように具体的に与えることができた.Theorem4.eはYの近傍で滑らかで

が成り立つ.ただし

とする.ここで▽i とする.

さらに,この定理を確率微分方程式の解に対して適用しよう.(Ω,F,P)を完備確率空間として{W1(t),…,wd(t);t∈[0,T1}をd-次元ブラウン運動とする.Xε(t),t∈[0,T],ε∈(0,1]を以下の確率微分方程式の解とする.

(2)

ただしV0,…,Vd∈C∞b([0,T]×RN;RN)とする.ここで,V10≡0とV1…,Vdのx0における強楕円性を仮定する.

まず,関数eから考えよう.HをCameron-Martin空間とし,(2)に対応する常微分方程式

を考える.ここで関数eはパスのエネルギー

と書ける.本論文では,このエネルギー関数の漸近展開を与えることができた.以下にその結果を説明しよう.

まず,V10≡0であることから,エネルギー関数はe(x(10))=0を満たす.ε=0の場合に対応して,フローφ:[0,T]×RN→RNを

により定義する.また,ベクトル場Vのφtによるプッシュフォワードを以下で定義する.

このとき,リーマン計量(gij)1≦1,j≦N:[0,T]×RN→Rを

により定義する.また拡散過程の生成作用素をLt,t∈

とする.ただし,b∈C∞b([0,T]×RN;RN)は

とする.次に線形作用素V,Tを以下で定義する.

このとき,次の定理が成り立つ.

Theorem5.定数γ0>0とC0>0が存在して,エネルギー関数eは以下を満たす.

ただし,変数b1,b2,b3は,とする.

さらに,定理4を用いて確率密度関数の漸近展開は以下のように求められる.

Theorem6.定数γ0,C1,C2>0が存在して,確率密度関数pε(y)は以下を満たす.

ここで,a0,a2は連続関数で次を満たす.

ただし,

とする.

このとき,拡散過程(2)に従うモデルでX1εを原資産とするコールオプションの価値の漸近展開は以下で与えられる.

Theorem7.定数01が存在してストライクレートK,満期T)のコールオプションの価値は次を満たす.

ただし

とし,qをx(10)の近傍で以下の関係式により定義する.

最後に,これからインプライドノーマルボラティリティの漸近展開式を得る.

Theorem8(一般化SABR公式).インプライドノーマルボラティリティの漸近展開は以下で与えられる.

ただし

とする.

特に,SABRモデルに対しては,エネルギー関数は,として

により与えられ,exp(J)をx0の近傍でテーラー展開することによ

が得られる.この式は,もともとのSABR公式とほぼ一致している.

参考文献[1] Berestycki, H., Busca, J., and Florent, I. (2004): Computing the implied volatility in stochas-tic volatility models, Comm. Pure Appl. Math., 57, num. 10, 1352-1373.[2] Bismut, J. M.: Large Deviations and the Malliavin Calculus, Birkhauser-Boston, Boston(1984).[3] Black, F., Scholes, M. (1973): The Pricing of Options and Corporate Liabilities, Journal of Political Economy, 81, 637-654.[4] Dunford, N and Schwartz, J. T.(1988), Linear Operators, Part II, Wiley-Interscience, New York.[5] Hagan, P. S., Woodward, D. E: Equivalent Black Volatilities, Appl. Math Finance 6, 147-157(1999).[6] Hagan, P. S., Kumar D., Lesniewski, S. Woodward, D. E.: Managing smile risk, Wilmott Magazine 18, no. 11, 84-108(2002). [7] Kunitomo, N. and Takahashi, A. (2001): The asymptotic expansion approach to the valua-tion of interest rate contingent claims, Mathematical Finance, 11, 117-151.
審査要旨 要旨を表示する

本論文は、マリアバン解析及び大偏差原理に基づく漸近展開理論の数理ファイナンスへの応用について論じたものである。

W(t),t≧0,を標準ウィナー過程としたと1き、ブラック・ショールズモデルでは割り引かれた資産価格過程S(t)は、σ>0をパラメータとして確率微分方程式

で与えられ、満期T>0、行使価格Kのコールオプションの価格はE[max{S(T)-K,0}]で与えられる。S0は現在の資産価格であり観測でき、K,Tは契約により決められているので、この式は変数σの関数f(σ)と見なせる。もし、このオプションが市場で取引されており、その価格がpであるならば、P=f(σ)を満たさねばならない。これは、σの方程式と見なせるので、これを解きσが求まる。これをimplied volatility(以下IVと略記する)と呼ぶ。しかし、現実の市場ではこのIVは一定ではなく、満期や行使価格が変わると変化することが知られている。このためブラックショールズ式は現実を完全に記述したモデルとは見なされておらず、より複雑な資産価格過程モデルが金融機関では用いられている。一般にこのようなモデルは多種のオプションの市場価格を説明できるようにするため、パラメーターを含んでおり、市場価格をよりよく説明するための最良のパラメータを見つけることが必要となる。このためにパラメータが与えられた時、直ちにIVを計算して返すプログラムの構築が重要となる。論文提出者は多次元拡散過程モデルの確率微分方程式

を考え、その第1成分X1ε(t)が資産過程であるとする(よって、V(10)≡0である)。満期T、行使価格Kが与えられたときのコールオプションの価格

に対して、

が存在することが知られているが、論文ではe(K)及び

の第2次近似までの漸近展開式の係数を具体的な式で与えた。また、σ(ε,K)>0を

で与えるとき、σ(ε,K)に対するεが2次までの漸近展開公式を与えることに成功した。これはIVの計算に対応する結果である。また、ファイナンスでよく用いられるSABAモデルに対するHaganの公式と呼ばれるもののある種の正当化を与えた。さらにより一般の一般化SABAモデルを提唱し、それについても公式を具体的に与えた。

このような公式を導くに当たり、Malliavin,Bismut,Watanabeらの結果が用いられているが、特にKusuoka-Stroockで示された大偏差原理を含む密度関数に対する漸近公式に現れる係数の最初の項を比較的わかりやすい計算可能な式を与えることに成功している。この結果は純粋な数学的結果であり、ファイナンス以外の応用も考え得る。

このように本論文では数学的にも新しい事実を示すと同時に共に、ファイナンスの実務に実際に用いることのできる一般的な漸近展開公式を与えており、単に数学的な観点からだけでなく、より複雑なモデルを実務で使える道を開いたという点でファイナンスの実務の観点からも高く評価できるものである。

よって、論文提出者筬島靖文は、博士(数理科学)の学位を受けるにふさわしい十分な資格があると認める。

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