学位論文要旨



No 123258
著者(漢字) 鈴木,了
著者(英字)
著者(カナ) スズキ,リョウ
標題(和) 古典弦理論のスペクトルとAdS/CFT対応に於ける可積分性
標題(洋) The Spectrum of Classical String Theory and Integrability in the AdS/CFT Correspondence
報告番号 123258
報告番号 甲23258
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5139号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 米谷,民明
 東京大学 教授 川崎,雅裕
 東京大学 教授 駒宮,幸男
 東京大学 准教授 加藤,光裕
 東京大学 准教授 松尾,泰
内容要旨 要旨を表示する

超弦理論はゲージおよび重力相互作用を量子論的に無矛盾に記述する理論であり、場の量子論で常に現れる紫外発散の問題を含まない。超弦理論は、基本弦およびブレーンと呼ばれる広がった物体から構成されている。基本弦同士の相互作用のうち、開弦による相互作用はゲージ相互作用を、閉弦による相互作用は重力相互作用を記述する

超弦理論には大きな対称性が内在している。とくに同じ物理現象が、弦理論の一見異なる複数の記述の仕方によって表されるとき、これを双対性と呼ぶ。ブレーンの存在する時空中においては、開弦によって計算した量と閉弦によって計算した量が同じであることがしばしば生じる。この状況はopen/closed dualityあるいはゲージ・重力対応と呼ばれている。

AdS/CFT対応とは、Maldacenaによって提唱されたゲージ・重力対応の具体例の一つである。AdS/CFT対応は、SU(N)ゲージ群を持つ4次元N=4超対称ゲージ理論と、N単位のRR fluxを持つAdS5×S5時空上の閉弦理論とが、N→∞の極限で双対な関係にあることを予言している。より具体的に言えば、AdS/CFT対応が正しければ、理論のスペクトルやそれらの相関関数を両側の理論で計算した場合、両者が一致するような対応のつけ方が存在するはずである。

両側の物理量を同定するための手がかりとして、両者の大域対称性が一致することを利用できる。ノV=4超対称ゲージ理論にはpsu(2,2|4)と呼ばれる超共形対称性が存在し、AdS5×S5時空上の超弦理論においても同じpsu(2,2|4)対称性が、時空の幾何学的対称性として実現されている。とくにこの二つの対称性を同一視することで、ゲージ理論におけるdilatation演算子△および三種類のR電荷(J1,J2,J3)は、超弦理論におけるエネルギーEと35上の独立な角運動量の三成分(J1,J2,J3)と一致すべしという物理量の間の具体的な関係が導かれる。

しかしながら、AdS/CFT対応を証明することは、以下に述べる理由により非常に困難である。この対応の下では、ゲージ理論の結合定数λ≡Ng2YMと、重力理論の結合定数λ=R4/l4stringとが同一視される。ゲージ理論で摂動論が使えるのはλ《1の領域であり、弦理論で摂動論が使えるのはλ》1の領域であるが、どちらの理論においても摂動論の適用範囲を超えて理論の性質を調べることは一般に容易でない。ただし例外として、BPS演算子と呼ばれる特殊なスペクトルを考えると、これらの演算子については物理量が量子補正を受けないことが知られている。この場合、実際にAdS/CFT対応が成立する。

BPS演算子以外の例として、Berenstein,Maldacena,Nastase(BMN)らは、BPS状態に非常に近いN=4理論の演算子を考えた。これらの演算子は、長さLの複合BPS演算子をtrZLとしたとき、複素スカラー場Z以外の(「不純物」と呼ばれる)N=4理論の基本場を数個挿入し、五》1の極限を取ったものとして定義される。これらはBMN sectorまたはnear-BPSsectorと呼ばれる。BMNは、有効結合定数λ≡λ/L2を有限に保つ極限(BMN極限)を考えた上で、near-BPSsectorにおける演算子が、AdS5×S5時空のペンローズ極限として定義されるpp-wave時空上の閉弦理論の状態と双対であることを示した。

Bpsでない一般の演算子の共形次元(すなわちdilatation演算子の固有値)を求めることは、通常の場の理論においては非常に困難な問題である。なぜなら、同じ量子数を持つ演算子同士は量子効果によって混ざるため、共形次元を求めるにはdilatation演算子を行列とみなしてこれを対角化する必要があるからである。MinahanとZaremboは、N=4理論のdilatation演算子が可積分性と呼ばれる非常に特殊な性質を持つことを発見した。すなわち彼らは、複合演算子の中の各演算子のflavorを、1+1次元格子上に固定されたスピンの向きと読み替えることによって、dila七ation演算子が可積分格子模型のHamiltonianと同じ形を持つことを示した。もしHamiltonianが可積分ならば、Bethe Ansatz方程式と呼ばれる方程式を解くことで、BPSとは限らない複雑な状態の固有値も(原理的には)計算することができる。とくに、演算子の長さLおよび不純物の数が非常に大きくなる「熱力学極限」を取れば、Bethe Ansatz方程式は比較的単純な(特異)積分方程式に帰着されるため、Hamiltonianの非自明な固有状態を具体的に構成することができる。

ゲージ理論の発展とは独立に、Bena,Polchinski,RoibanらはAdS5×S5上の古典弦の運動方程式が可積分であり、無限個の保存チャージを含むことを発見した。この発見を受け、Kazakov,Marshakov,Minahan,Zarembo(KMMZ)らは、弦の運動方程式およびVirasoro条件の古典解が、丘nite-gap定式化と呼ばれる代数幾何学的な方法によって一般的に構成できることを指摘した。さらにKMMZは、古典弦の角運動量J『が非常に大きくなる「熱力学極限」を取ることで、finite-gap定式化に現れる積分方程式たちが、Bethe Ansatz方程式から得られる積分方程式たちと、BMNの有効結合定数λ≡λ/J2の最低次で完全に一致することを発見した。

またBeisertは、N=4理論において長さLが無限大の演算子(asymptotic spin chain)を考えると、超共形対称性の代数を中心拡大することができることを示した。さらに、asymptotic spin chain上のmagnon励起が中心拡大された意味でのBPS状態である場合、その共形次元が結合定数λについての全次数の表式として

Δ-J1=√1+λ/π2*sin2(p/2), Δ,J1->∞ (1)

と書ける事を指摘した。他方弦理論側において、HofmanとMaldacenaは、S5の大円上を弦の端が光速で回る配位(giant magnon)が、asymptotic spinchain上のmagnon励起と双対な弦の状態であることを発見した。Asymptotic spin chainでL=∞が成り立つことに対応して、giant magnonも無限大の角運動量J1=∞を持つ解となっている。

以上述べたように、AdS5×S5時空上の閉弦理論と4次元N=4超対称ゲージ理論の間のAdS/CFT対応を一般的に証明することは困難ながらも、演算子と古典弦との具体的な対応を求めAdS/CFT対応を検証する試みは大きな成功を収めてきた。この成功の背景は次のようにもまとめられる。各々の理論に存在する可積分性のおかげで、両理論の複雑なスペクトルを求めることができるようになった。それぞれの理論で見つかった多様なスペクトルのうち一部の特殊なものに注目することで(すなわち各々の理論において巧妙な極限を取ることで)、もともとは強結合/弱結合の双対性であったAdS/CFT対応が、別の種類の比較に置き換わることでAdS/CFT対応の新しい例を発見してきた。このように考えると、可積分性を利用して各々の理論のスペクトルを広い展望から分類することは、AdS/CFT対応の検証においても重要な役割を果たすであろうことが理解できる。

以前から良く知られていたこととして、R×S3上の古典弦理論は可積分であり、さらにPohlmeyer,Lund,Regge(PLR)らの方法に従って力学変数を読み替えることでsine-Gordon系に還元できるという事実があった。実際に、PLRの処方によりgiant magnon解とsine-Gordon模型のソリトン解とが関係することは、すでにHofman,Maldacenaによって指摘されていた。自分は、東京大学の岡村圭祐氏とともに、複素sine-Gordon方程式のhelicalwave解と呼ばれる、最も一般的なgenus1の二重周期関数解に注目して、これを元にRt×S3時空上の一般的な弦の古典解を構成した。さらに、種々の極限を取ることで、この解(helical spinning string解)が、folded stringやdyonic giant magnonと言ったAdS/CFTでよく知られた古典弦の解に帰着されることを示した。

我々は楕円関数を用いて解析的にhelicalstring解の表式を与えたが、この事実よりすぐに、helicalstring解は代数幾何学的な手法に従って構成される丘nite-gap解と直接の対応があることが期待される。Vicedoは、我々の解が一般的な2-cut丘nite-gap解として表現できることを後に証明し、具体的なパラメータの対応を与えた。ちなみに時空上の古典弦の運動として記述される通常の解と代数幾何学的な解との関係は、実座標と運動量座標とを入れ替…えるFourier変換の非線形な類似とみなすこともできる。AdS/CFT対応を検証する上では「運動量座標」の表示である代数幾何学的な表現の方が有用である。しかし、これを「Fourier変換」することで実座標での解の表式を得ること、およびその逆を実際に計算することは、大抵の場合非常に面倒である。この意味において、広い種類の古典弦の解について、その時空上の振る舞いと「運動量空間上」の振る舞いとの対応が明らかになったのは重要だと考えられる。

Helical spinning string解は、一般に大きな角運動量をもつ弦の古典解を内挿するような一般解であった。われわれは引き続いて、大きな巻きつき数を持っような一般的な弦の古典解を、worldsheet上の時空座標γとσを入れ替えることで構成した。さらにこの解(helical oscillating string)は、一般にpulsating stringやsingle-spikeといった時空上で周期的に振動運動を行う弦の古典解を含むことが示された。AdS/CFTの観点からは、このような解に双対なゲージ理論の演算子は、非正則なスカラーからなる複合演算子であることが期待される。この種の演算子の共形次元は一般に大きな量子補正を受けるため、AdS/CFT対応の具体例としてはあまり調べられたことがなかった。非正則なセクターと大きな巻きつき数を持つ解の対応を調べる上で、我々の解は有用な示唆を与えると期待できる。

Helical spinning string解は、(two-spin)giant magnon解の、J1<∞への拡張とみなすことができる。実は、分散関係式(1)への有限」1補正を求める問題は、以下に述べるようにAdS/CFT対応における重要な問題と関連している。

N=4理論のdilatation演算子を対角化する際にMinahanとZaremboが用いたBethe Ansatz方程式は、後にBeisert,Dippel,Staudacherによってλに関する全次数の表式に拡張された。このall-loop Bethe Ansatzは、しかしながら、五が有限の場合はwrapping interactionとよばれる相互作用によって、λの高次においてはAr=4の結果を正しく再現しないことが知られている。Ambj¢rn,Kristjansen,Janik(AKJ)は、λの大きな領域ではwrapping interactionが、指数関数で減衰するような分散関係式への補正項として現れるべきであることを指摘した。Giant magnon解への有限」1補正は実際に、」1に関して指数関数的に減衰することが知られている。ゆえに、このような項を正確に求める手法は、Bethe Ansatzで計算できないような効果を評価するうえで重要と考えられる。

我々は、2つの方法を用いて(two-spin)giant magnon解への有限」1補正を計算し、両者が一致することを確かめた。一つ目の方法は上で述べたようにhelical spinning string解の漸近的な振る舞いを評価する方法である。もう一つの方法は、場の理論で知られているluscherの公式を用いるもので、これは無限サイズの系の情報だけからエネルギーへの有限サイズ補正を求める式になっている。Luscherの公式を用いる方法はλの大きさに依らずに適用できるため、もしλの小さい領域で有限サイズ補正項が評価できれば、AKJの主張を裏付ける具体的な証拠を与えると期待できる。

図1:左上:S3時空におけるhelical spinning string解の形。左下:対応する複素sine-Gordon方程式のhelical wave解。右上:Helical spinning string解の2-cut解としてのfinite-gap解釈。右下:有限サイズ補正の一部であるμ項を表すFeynman図。

審査要旨 要旨を表示する

超弦理論は自然界の重力を含むすべての相互作用を統一する理論として期待されて研究が続けれられている.ここ十年ほどの進展のなかで生み出された新しい概念として,「重力・ゲージ対応」と呼ばれる重力理論とゲージ理論の間の対応関係がある.これは,従来は異なった相互作用を異なった原理に基づいて記述していると考えられていた一般相対性理論とそれを含む超弦理論が,実は物理量の適当な読み替えのもとで,ゲージ理論のある特別な極限としても同等に記述できるといっ可能性である.超弦理論が両者を自然に含む統一理論であることから初めて到達できた考え方である.そのうち最もよく研究されてきたのは,本論文のタイトAdS/CFT対応と呼ばれるもので,典型的には4次元時空で共形不変性を保つ最大超対称なゲージ理論と,5次元の反ド・ジッター空間と5次元球面の積(AdS5×S5)がなす10次元時空における超弦理論との対応関係である.この対応関係は,現在のところあくまでもいくつかの根拠に基づいた「予想」の段階にあるものであるが,この予想を様々な状況において確認するための研究が盛んに行われている.さらに,この予想を4次元QCDのような,より現実的なゲージ理論にも拡張しようとする試みもなされており,今後の超弦理論およびゲージ場理論の発展にとって,その潜在的な重要さには計り知れないものがある.

本論文の目的は,AdS/CFT対応に関してゲージ理論側,弦理論側の両方にある積分可能性の性質をもとに,両者の関係を結合定数の全領域で有効な方法で調べようとするアプローチに関して新知見生与えることにある。具体的には重力(=10次元超弦理論)側で,3次元球面(あるいは3次元反ド・ジッター空間)部分に広がりを持ったある特定なクラスの弦の運動の古典解を系統的に構成し,さらにそれらの解の弦理論側にとっての意味およびゲージ理論側との対応関係について考察を与えている.

以下,本論文の構成に即して概要を述べる.第1章では,AdS/CFT対応の背景と研究の現状について述べた後,本論文の議論に関わる積分可能性に基づいてここ数年なされてきた研究の進展の概略を説明し,本論文の構成が述べられている.第2章から第5章は,第6章以後の議論のための準備として,重力側およびゲージ理論側の積分可能性の内容とその具体的適用例について,80ページ程をかけたかなり詳細なレビューにあてられている.

続く第6章から第9章は論文申請者自身の研究に基づいている.まず第6章は,S3×Rt時空(時間1次元と3次元球面のなす4次元時空)方向に拡がり,重心はAdS時空の中心に静止している弦の古典解を調べる.この場合には,1970年代から知られている0(4)非線型シグマ模型と複素sine-Gordon方程式(以下CsGと略する)との関係を応用することにより,弦の運動方程式と拘束条件(Virasoro条件)を合わせたものを,CsG系の解と関係づけることができる後者については古くから研究されており,多様な古典解が知られているので,この関係に基づき弦の古典解を求めるのがこの章の主眼である.特にsine-Gordon系でhelical waveと呼ばれる型の解にもとついた解を詳しく調べている.この解はいくつかのパラメターにより特長づけられるが,その様々な極限での振る舞いを,数値計算も援用して詳しく調べることにより,すでに知られている解を含むより一般の解であることが示されている.また,ここで得られている解と第3章でレビューされたより一般的な意味での弦の古典理論の可積分性に基づいた解の既知の構成法との関係について,他のグループによってなされた結果について触れられている.

第7章では,前章で論じられた解から弦の世界面上のパラメターτ(時間),σ(空間)の交換によって得られる解の分析がなされている.これらの解は,一般に3次元球面の角度変数に関して多数回巻き付きついた解になる.また,時間変化で見ると、弦の広がりに関して空間的な形状がパルス的に変化する解になっている.これらの解についても,様々な極限で性質を調べて時空的な描像を明らかにしている.また,前章でも論じられたより一般の可積分性に基づいた解釈も与えられている.

第8章は,前章までの議論の拡張としてAdS3×S1時空での弦の古典解の解析を行う.この場合は,これまでの0(4)×瓦シグマ模型の代わりに0(2,2)×0(2)シグマ模型を扱うことになり,S3×馬の場合から変数の一部を虚数軸へ回転することにより得られる.その結果,GsG系は複素sinh-Gordon模型に置き換わり,これまでの解析と平行した解析が可能である.

第9章では,有限体積効果に関する考察を行う.有限体積効果とは,1次元格子にならんだスピン変数の個数(J)鮪限の場合に対す無限大の場合からの補正のことである.ここではgiantmagnonと呼ばれる励起状態の場合に先行した研究で与えられていたラッピング相互作用の効果による指数関数型の有限体積効果に関する議論を拡張し,dyonic giant magnon(2個の角運動量J1,J2によって特長づけられる)の場合の議論を行っている.まず,これまでの章で求めたhelicalstring解に基づき,dynonic giant magnonの重力=弦理論側での有限体積効果を調べ,J1が大きいが有限の場合の補正項を導びく.次に,先行する研究で用いられている,スピン系の有限体積補正を2点グリーン関数の場合に無限体積の場合からの補正として計算するためのLuscherの公式に基づき,有限体積効果は有限体積での自己エネルギーの計算に帰着することが説明されている.さらに,自己エネルギーの計算における主要効果は,中間状態についての積分の質量殻付近の寄与であるという性質に着目し,マグノン励起状態のS行列を用いて計算を実行しているこうして得られた結果は,本章の前半に与えた弦理論側での古典解の分析結果と一致することが確かめられている.

以上のように,本論文は,新しい種類の拡がった弦の古典解を具体的に構成しその性質について詳細な分析を与えた上で,さらにその結果とゲージ理論側のスピン系における有限体積効果との比較を行い両者の整合性を示した.AdS/CFT対応に関して今後の研究に有用な新しい知見を得た充実した内容を備えている.よって,審査委員会は全員一致で本論文は,博士(理学)の学位を授与するのにふさわしいものであると判定した.

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