学位論文要旨



No 123267
著者(漢字) 十倍,大仁郎
著者(英字)
著者(カナ) トベ,ダイジロウ
標題(和) スピン軌道相互作用のある不規則系,準周期系
標題(洋) Disordered and quasiperiodic systems with spin orbit interaction
報告番号 123267
報告番号 甲23267
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5148号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 勝本,信吾
 東京大学 教授 大谷,佳近
 東京大学 教授 時弘,哲治
 東京大学 准教授 松田,巌
 東京大学 教授 青木,秀夫
内容要旨 要旨を表示する

当論文における主な目的は、不規則系、凖周期系の双方の系において、スピン軌道相互作用を付加することで明確となった新奇の性質を明示することである。双方の系は、ランダム行列理論、量子凖位統計の観点から共に重要となるので、当論文では、ランダム行列理論、量子凖位統計における観点から1つの一貫した論文としてまとめることを考えた。

第1節では、ランダム行列理論と凖位統計の発展の歴史から始まって、第2節以降で必要となる基本的な知識をまとめた。

第2節においては不規則系を扱った。シリンダー型の境界条件を課し、シリンダーを貫く磁束を導入する。磁束を断熱的に変化させることでエネルギー凖位が断熱的に変化してゆく様子をスペクトル流と名づけた。不規則ポテンシャルが存在しなければ、それぞれのスペクトル流は全く反発せず凖位交差となるのであるが、不規則ポテンシャルの存在下においては凖位間に反発が生じ、凖位交差が壊れてギャップとなる。この節で注目した統計量は、このギャップの大きさについての確率分布関数(ギャップ分布関数) である。

まずはRashba モデルを始めとする幾つかの物理系において、このギャップ分布関数を調べた。その結果、弱い不規則ポテンシャルの領域においては、いずれのモデルにおいても系の大きさに依存しない普遍的なギャップ分布関数が得られた(図1 (a)) 。そして、この普遍的なギャップ分布関数と良く一致する試行関数を見つけることができた。このギャップ分布関数は、ギャップの小さい領域においては"ベキ則"、大きい領域においては"指数関数的減衰" を示す(図1 (b))。

行列力学モデルに基づいたN ×N ランダム行列理論を用いて、ギャップの小さい領域における"ベキ則"が、一般のN で、かつポテンシャルの形に依存せずに成り立つ普遍的な性質であることを示した。また、当研究における物理系の特徴を反映したランダム行列モデルを考案し、実際の物理系で得られた普遍的なギャップ分布関数の形(1) を再現することができた。これらの結果から、当研究で得られたギャップ分布関数が、「弱い不規則ポテンシャル」、「凖位交差」の2つの特徴を持つ系の普遍的なギャップ分布関数であると結論づけた。

当研究で扱った物理系はいずれも磁束の存在を反映して、ギャップの小さい領域においてGUE のベキ則を示していた。GOE、GSE におけるベキ則を満たすよう試行関数(1) を拡張した: (GOE、GUE、GSE に対応してβ = 1, 2, 4)当研究で扱った物理系はいずれも磁束の存在を反映して、ギャップの小さい領域においてGUE のベキ則を示していた。GOE、GSE におけるベキ則を満たすよう試行関数(1) を拡張した: (GOE、GUE、GSE に対応してβ = 1, 2, 4)した「ベキ則」の特徴を持つ(3) とよく一致すると結論した。

2節で得られた普遍的なギャップ分布関数(3) は、ギャップの大きさについても規格化されている。規化する以前のギャップの大きさg に関する分布関数は、普遍的なギャップ分布関数(3) より、1パラメータ(ギャップの平均値hgi) のみに依存した形で書き下すことができる:よって2節では、ギャップの平均値の振る舞いにも調べた。特に熱力学的極限においてもギャップの平均値はゼロとならず、有限の値をとることが数値計算により示された。故に熱力学的極限においても、普遍的なギャップ分布関数の描象が成り立つことが示唆されている。またこれらの結論が反映される系として、特にスピンホールコンダクタンスについて触れている。

スピン軌道相互作用の存在は、当節の普遍性を発見する上で重要であったと考える。というのも、不規則ポテンシャルの弱い極限に相当するギャプ分布関数を数値計算で扱うことは本来は困難を伴う。スピン軌道相互作用は伝導性を誘起することが知られており、これは逆に言えば、不規則ポテンシャルの作用を相対的に抑制すると解釈できる。不規則系研究における初期に、常識的な不規則ポテンシャル強さの範囲内でギャップ分布関数の普遍性に到達できたのは、スピン軌道相互作用のおかげであると考えている。

第3節においては凖周期系を扱った。Harper モデルにRashba 型のスピン軌道相互作用を付加したモデル、つまり2次元正方格子に垂直磁場の入った1体の強結合モデルにRashba 型のスピン軌道相互作用を付加したモデルを考案し、単位格子を貫く磁束を無理数: σG = (√5 ー1)/2 とした場合に相当する準周期系を考えた。

まずは当モデルにおいて、Aubry-Andr´e 双対性を一般化した双対性、スピン軌道相互作用の存在下においても成り立つ双対性の存在を示した。

次に、バンド幅の総和による解析と直接波動関数を見ること、さらに双対性による議論から図3(a) の相図を得た。

そして、バンド幅、波動関数に対するマルチフラクタル解析を行うことで、得られた相図(図3 (a)) が矛盾のないものであることを確認した。

任意のλR において双対性が成り立つことから、II 相とIII 相の境界は自己相似な直線λH = 1 となっている。その境界線上におけるバンド幅の総和の振る舞いは、λR の値とは関係なく臨界的なB~ q-δ (δ = 1.00)を示す。スペクトルに対するマルチフラクタル解析を行い、この直線上においては純粋な特異連続スペクトルが現れること、つまり全ての状態が臨界的であることを確認した。

また波動関数に対するマルチフラクタル解析を行い、各々の相の様子を調べた。I 相と、I 相と双対性の関係により結ばれたIV 相は、それぞれ純粋なスペクトルを持つ。I 相においては純粋な絶対連続スペクトルを持ち、全ての状態は広がっている。またIV 相においては純粋な調密スペクトルを持ち、全ての状態は局在している。それらの相とは対照的に、II 相と、II 相と双対性の関係に結ばれたIII 相は、いずれも純粋でないスペクトルを持ち、広がった状態と局在した状態が混在する。つまり広がった状態と局在した状態を分ける移動度端が存在する。そしてここでも双対性は成り立っており、II 相における広がった(局在した) 状態は、双対性の関係で結ばれたIII 相の対応する状態においては、局在して(広がって) いる(図3(b))。当研究において考案したモデルはこのように、双対性と移動度端が両立したモデルであることが大きな特徴である。

当研究においては、1次元凖周期系にスピン軌道相互作用を付加することで、系の電子構造がどのように変化するかに関心があった。念頭にあるのは、2次元不規則電子系にスピン軌道相互作用を付加することによってAnderson 転移が生じる系となる事実である。通常の1次元不規則系にスピン軌道相互作用を付加しても、依然として絶縁体相であることは知られている。しかし1次元凖周期系は、通常の周期系と不規則系の中間とも言える系であり、スピン軌道相互作用を付加することによって、どのような電子構造が生じるかは不明であった。当論文の1次元準周期系の研究において、スピン軌道相互作用を付加することでスペクトル中に移動度端が生じ、絶縁体相の1部に金属相が、金属相の1部に絶縁体相が誘起されることが示された。特に当研究では、すべての状態におけるαmin を一度に見ることで、その様子を明確にすることができた(図3(b))。

第4節は、graphene を扱っている。ここではパラメータta によって六角格子から2つの正方格子へと遷移するgraphene モデルを扱い、ta≪ 1 とta ≫1 の極限を調べた。ta≫ 1 で、六角格子は2つの正方格子に完全に分裂していることを示した。よってホールコンダクタンスの量子化則は、正方格子で知られている通常の量子ホール効果におけるものと一致する。それに対してta≪ 1 では、ゼロモードの存在のために、正方格子の場合とは異なる選択則に従ってDiophantine 方程式の解を選ぶ必要があることを摂動論を用いて示した。そしてそれは、非常に小さい凖位間ギャップというgraphene 固有の凖位構造の存在と関係していることを示した。

図1 ギャップ分布関数の普遍性(a) 弱い不規則ポテンシャルにおいて系の大きさL に依存しない(Rashba モデルの場合の1例)。(b) ギャップの大きな領域ではPoisson 的な減衰を示し、ギャップの小さい領域ではベキ則を示す。(a)、(b) の図における実線はいずれも試行関数(1)。

図2 ランダム行列モデル(2) から得られたギャップ分布関数(a) GOE の場合、(b) GSE の場合。(a)、(b) の図における実線はそれぞれ、(3) のβ = 1 (GOE) とβ = 4 (GSE) の場合。

図3 (a) 相図: I 相とIV 相、II 相とIII はそれぞれ互いに双対関係にある。系はλH = 1 の直線上(赤線) で自己双対である。青いエラーバーは、バンド幅の総和を用いた解析による。緑のエラーバーは、波動関数に対するマルチフラクタル解析による。g(λH) とg1(λH) は双対関係にある: g1(λH) = g(1/λH)。(b)II 相とIII 相における(全ての状態の波動関数に対する) αmin の値。緑線と青線はn = 18 (F18 = 4181)の場合、薄い緑線と薄い青線はn → ∞ の極限。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、Rashba型スピン軌道相互作用を導入したランダム系や準周期系などのエネルギースペクトルの統計的振舞いに注目することで、大別して3件の新しい知見を与えるものである。本論文は4章からなる。第1章は、導入部でありランダム行列理論発展の歴史から説き起こし、ハミルトニアンの対称性のみから展開されるランダム行列理論の基礎的な部分、特に最近接準位分布統計に対する応用について要点をまとめている。

続く第2章では、不規則系の(隣接準位統計ではなく)準位交差時のギャップに着目し、この論文での発見である不規則系のギャップ分布関数における新しい普遍性が提示される。まず、ギャップ分布関数の概念を導入し、これに対して数値計算を行っていく上での道具立てである、Rashbaスピン軌道相互作用、シリンダーに対する捻られた境界条件、などを用意する。その上で不規則ポテンシャルが弱い領域において、Rashbaモデル、グラフェンモデル、量子ホールモデル、Andersonモデルについて、ギャップ分布関数を求め、系のサイズがある程度以上あれば、サイズに依存せずにこれらがすべて単一の試行関数で極めて良く表されることを数値的に示している。これまでギャップ分布関数を系のサイズに依らなくなる大きさまで計算した例はないため計算自身が新しく、また、普遍性の発見は準位統計分野での成果ということができる。収束が速められた要因はスピン軌道相互作用にあることが示されているが、その原理については推測の段階である。また、得られた普遍性が高いと考えられるギャップ分布関数は、これまで漠然と予想されてきたカオス系などに適用可能なZakrzewski分布とは、特にギャップの大きな領域で関数型が異なっている。その理由について、物理的考察を加えている。

更に一般性を高めたランダム行列モデルを考え、直交、ユニタリー、シンプレクティックの3つのユニバーサリティクラスにおいて、ギャップ分布関数が、上で発見した試行関数で良く表されることを示している。ただし、試行関数は、ユニバーサリティクラスに依存するパラメーターを含んでいる。章の最後に、ここで見いだしたギャップ分布関数の普遍性が、Landau-Zener型トンネルを介してスピンHall効果のゆらぎに現れる可能性を指摘・議論している。

第3章において、1次元準周期系を扱っている。1次元準周期系としてHarperモデルにRashba型スピン軌道相互作用を付加したモデルを考えている。このモデルのパラメーターは、x方向y方向のホッピング積分の比λHとスピン軌道相互作用の強さλRである(1次元モデルだが、2次元にマップしている)。λRが0の場合、Harperモデルは、λH=1を境にλHの逆数、および波動関数のフーリエ変換を取ることでモデルが元に戻るという特異な対称性(Aubry-Andre双対性)を持っているが、λRが有限でも同じ双対性が成立することが示されている。

このモデルにおいては、波動関数が空間的に局在しているか非局在化しているか、ということが大きな問題の一つである。特にλRが有限の場合は、移動度端が存在して局在と非局在の状態が混在している可能性がある。本論文では、まずバンド幅の総和に着目し、これがλH>1の領域で有限になる境界を相境界とし、Aubry-Andre双対性を用いて4つの相を導いている。この相図が正しいことは、まず、波動関数の空間分布を実際に計算することで直感的な確認がなされる。次いで、波動関数に対するマルチフラクタル解析が行われている。これは、状態密度の特異性を特徴づける指数αに対してエントロピー関数fを定義し、最も大きな波動関数振幅を持つサイトでのαに対するf(α)を調べることで局在・非局在を判定する方法である。この解析においても上述の相図が正しいことが確認された。

1次元準周期系において移動度端を持つ場合が存在し、同時にAubry-Andre双対性が存在するモデルは、本研究例が始めてであり、新しい知見である。

最終第4章においては、六角格子を持つ2次元シートであるグラフェンの電子状態についての研究がまとめられている。エネルギースペクトルの準位間隔に着目し、大きく開いたもの、小さいものの起源を摂動論に基づき明らかにした。章の最後では、不規則性などを導入する事による研究の発展方向に対する示唆を与えている。

以上、本論文の成果は主に物理数学におけるものであり、本格的な物理学への応用は今後の研究課題として残されているが、物理数学としては、ギャップ分布関数という新しい側面に着目し、そこでしか見ることのできない新しい普遍性があることを示したことは斬新で重要な成果である。1次元準周期系の相図の解析も新しい知見である。これをもって、博士学位論文としての価値があるものと認める。

なお、本論文第2章は、Yong-Shi Wu、 甲元眞人、佐藤昌利各氏との共同研究、第3章、第4章は同様に甲元、佐藤各氏との共同研究であるが、論文提出者が主になって理論の構築・分析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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