学位論文要旨



No 123859
著者(漢字) 飯田,修一
著者(英字)
著者(カナ) イイダ,シュウイチ
標題(和) エータ不変量の断熱極限とマイヤー関数
標題(洋) Adiabatic limits of eta-invariants and the Meyer functions
報告番号 123859
報告番号 甲23859
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(数理科学)
学位記番号 博数理第317号
研究科 数理科学研究科
専攻 数理科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 吉川,謙一
 東京大学 教授 森田,茂之
 東京大学 教授 野口,潤次郎
 東京大学 教授 寺杣,友秀
 東京大学 教授 古田,幹雄
 東京大学 准教授 河澄,響矢
内容要旨 要旨を表示する

1 はじめに

本論文の目的はマイヤー関数の高次元化をη-不変量の断熱極限を用いて構成し, その基本的性質を研究することである.

まず, マイヤー関数の復習から始める. 種数g の向き付けられた曲面をΣg とし,その写像類群をMg とする. また, B:=S2/∪3i=1Di を球面から開円板を三つ取り除いたものとする. この時π1(B) は階数2 の自由群であり, その生成元を表すループをγ1, γ2 とする. 任意のA,B ∈ Mg に対してB 上のΣg-束π : X(A,B) → B でγ1, γ2 に沿ったモノドロミーがA,B になるものが存在する. ここで, X(A,B) は向き付けられたコンパクトな境界付き4 次元多様体である. 写像τg : Mg ×Mg → Z をτg(A,B) := Sign(X(A,B)) で定めると, τg は2-コサイクルにを定める. ここで, 向き付けられたコンパクトな境界付き4k-次元多様体M に対して, 符号数Sign(M) は対称双線形形式I : H2k(M, ∂M,Q) × H2k(M, ∂M,Q) → Qの符号数として定義される. コサイクルτg は符号数コサイクルもしくはマイヤー・コサイクルと呼ばれ, コホモロジー類[τg] ∈ H2(Mg,Z) が定まる. 種数1 の場合,M1 = SL2Z, 3[τ1] = 0 ∈ H2(SL2(Z),Z) = Z/12Z, H1(SL2(Z),Z) = 0 であることから, 関数φ1 : SL2(Z) → 13Z で任意のA,B ∈ SL2(Z) に対してτ1(A,B) =-φ1(A)-φ1(B)+φ1(AB) を満たすものが唯一存在し, 種数1 のマイヤー関数と呼ばれる. マイヤー関数φ1 は以下のような性質を持つ.

定理1.1 (マイヤー[9]). 任意のコンパクト有向曲面B 上のΣ1-束X に対して, 境界∂B = ∪ki=1Si に沿ったモノドロミーをA1,...Ak ∈ SL2(Z) とすると,Sign(X) = -Σki=1φ1(Ai).

種数2 においても5[τ2] = 0 ∈ H2(M2,Z) = Z/10Z, H1(M2,Z) = 0 より種数2 のマイヤー関数φ2 : M2 → 15 が一意的に存在し, 同様の性質を満たす. 種数g > 2 では符号数コサイクルは捩じれ元ではないためマイヤー関数は定義できない. ただし,Hg < Mg を超楕円的写像類群とすると, g > 2 においてτg のHg での位数は2g + 1である(cf. [6],[10]). よって種数g のマイヤー関数φg : Hg → 12g+1Z が定義される.

本論文では, 種数2 の曲線の自然な高次元化としてテータ因子を考察し, マイヤー関数の高次元化を以下のようにして行う.

2 主結果

次数g のジーゲル上半空間をSg, ジーゲルモジュラー群をΓg := Sp(2g, Z) とする. 主偏極アーベル多様体の普遍族f : Ag → Sg へΓg は同変に作用し,商空間Ag := Γg / Sg は主偏極アーベル多様体のモジュライ空間である.テータ因子の普遍族をf : Θ := {(z, τ ) ∈ Ag : θ(z, τ ) = 0} → Sg とする. ここで, θ(z, τ ) はリーマンテータ関数である.この時Γg のAg への作用はΘ を保たないが, 定義を少し変更することでΓg はf : Θ → Sg へ同変に作用する. さらに, この作用に関してΓg-不変な接続(接束の垂直成分と水平成分への分解のこと)〓とΓg-不変なケーラー計量gΘ が入る. テータ因子が特異になる軌跡を〓とし, Ng := Γg / Ng とおく. Ng はある重さ(g+3)g!/2 のジーゲル保型形式△g(τ ) の零因子になることが知られており, Ng はAg の因子である. Ag / Ng にはオービフォールドの構造が自然に入り, 非特異テータ因子のモジュライ空間とみなせる. 以下の群,すなわちAg /Ng のオービフォールド基本群が本論文の主題である:Sg := πorb1 (Ag /Ng).

注2.1. オービフォールドA1 /N1 = A1, A2/N2 はそれぞれ種数1 及び種数2 のリーマン面のモジュライ空間である. よってS1 = M1, S2 = M2 である. このことより,群Sg を写像類群のある種の高次元化とみなす.

写像類群Mg の場合と同様にパンツ上のテータ因子の族の符号数を用いることで符号数コサイクル[cg] ∈ H2(Sg,Z) が定義される. 特にc2 = τ2 である. また, g が奇数の時は次元に関する理由から, cg ≡ 0 である. よって, g が偶数の場合のみを考える. 以下, cg が捩れ元であることを, 関数Φg : Sg → R で任意のA,B ∈ Sg に対してcg(A,B) =-Φg(A)-Φg(B) + Φg(AB) を満たす関数, すなわちマイヤー関数の高次元化を構成することによって示す.

まずn-不変量の復習から始める. (M, g) を(4k -1)-次元の有向閉リーマン多様体とする. 符号数作用素D : A2p(M) → A2p(M) をD(ω) = (-1)k+p+1(*d - d*)ω, ω ∈ A2p(M)で定義し, σ(D) をD のスペクトラムとする. リーマン多様体M のn-関数を〓で定めると, n(s) はRe(s) ≫ 0 で広義一様収束し, C 全体に一価有理型関数として解析接続され, s = 0 で正則である[2], [4]. n(M, g) := n(0) はリーマン多様体のn-不変量と呼ばれる.次にM がファイバー束π :M ->B の構造を持っている場合を考える.接続TM=TM/B * TB 及び相対接束TM/B と底空間の計量gM/B, gB が与えられ,M の計量がgM = gM/B * π*gB と直交分解していたとする. M 上の計量の1-パラメーター族gM,ε, ε ∈ R>0 をgM,ε := gM/B * ε-1π*gBで定めると, n(M, gM,ε) はε → 0 で収束し[3], n-不変量の断熱極限と呼ばる. 極限をn0(M, g) と書くことにする.

以下のようにしてマイヤー関数φg を構成する. 任意の[σ] ∈ Sg に対して代表元σ : S1 → Ag Ng を選ぶ. ここでσ はオービフォールドの意味での写像である. この時ファイバー積Mσ := Θ×σ S1 は写像トーラスと呼ばれ, S1 上の非特異テータ因子の可微分族である. 写像σ から誘導されるMσ 上の接続および相対接束上の計量gMσ/S1を用いてMσ 上の計量をgMσ,ε := gMσ/S1 * ε-1π*dt2, ε ∈ R>0 と定める.

定義2.1 (マイヤー関数の高次元化). 関数Φg を以下で定義する.

ここで, 〓でありBk はベルヌーイ数である. ただし, この定義の段階では[σ] の同値類における代表元のとり方の不確定性から, well-defined であることは明らかではない. 以下が主定理である.

定理2.2. (1) もし[σ1] = [σ2] ∈ Sg であればΦg(σ1) = Φg(σ2). よって関数Φg : Sg →R がwell-defined に定まる.

(2) 任意のA,B ∈ Sg に対してcg(A,B) = -Φg(A)- Φg(B) + Φg(AB).特に[cg] * Q = 0 ∈ H2(Sg,Z).

種数2 のマイヤー関数の一意性よりΦ2 = φ2 である. また, 種数2 の時, Δ2 は井草保型形式χ2 と定数倍を除いて一致するので, 以下のようなマイヤー関数φ2 の解析的な表示を得る.

系2.3. 任意のσ ∈M2 に対して以下が成立する.

次にマイヤー関数の一意性について考察する. マイヤー関数φg の存在は, H1(SL2(Z),Z) =H1(M2,Z) = H1(Hg,Z) = 0 であることから一意的であった. しかしながら, Sg では以下のように状況が異なる.

定理2.4. 以下が成立する.

よって一般のg に対して, コサイクルcg を境界とする関数Φg は一意的でないことが分かる. 次に, Φg の値を計算する. まずSg := Sg fNg おくと, 完全列が成立し, 群π1(Sg) はトレリ群の一般化とみなせる. また, [5] によるとNg は二つの既約成分θnull,g,Jg を持つ. この既約成分に応じて二種類のπ1(Sg) の元の系列{II1λ}λ, {II2μ}μ が定まり, 集合{II1λ, II2μ}λ,μ はπ1(Sg) を生成する.

定理2.5. 以下が成立する.

特に, 関数Φg は非自明であることが分かる. また, g = 2 の場合, II1λ は種数2 のリーマン面上の単純分離曲線に沿ったデーン捻りであり, Φ2(II1λ) = φ2(II1λ) = -4/5 である.この結果は[8] の結果と整合する.

謝辞

本論文における研究を進めるにあたって, 古田幹夫教官, 河澄響矢教官及び寺杣友秀教官からは多くの有益な助言を頂きました. ここに感謝の意を表します. 指導教官である吉川謙一教官からは修士課程・博士課程を通じてたゆまぬご指導を承り, 数知れない助言・激励を頂きました. また, 論文作成に当たっては筆者の拙い英語を辛抱強く添削してくださいました. ここに特別な感謝の意を表したいと思います.

[1] M. F. Atiyah, Logarithm of the Dedekind η-Funktion, Math. Ann. 278 (1987) 335-380[2] M. F. Atiyah, V. K. Patodi, I. M. Singer, Spectral asymmetry and Riemannian geometry I, Math. Proc. Camb. Phil. Soc. 77 (1975) 43-69[3] J.-M. Bismut, J. Cheeger, η-invariants and their adiabatic limits, J. Am. Math. Soc. 2 (1989) 33-70[4] J.-M. Bismut, D. S. Freed, The analysis of elliptic families II: Dirac operators, eta invariants, and the holonomy theorem of Witten, Comm. Math. Phys. 107 (1986) 103-163[5] O. Debarre, Le lieu des varietes abeliennes dont le diviseur theta est singuliera deux composantes, Ann. Sci. Ecole Norm. Sup. 25 (1992) 687-708[6] H. Endo, Meyer's signature cocycle and hyperelliptic fibration, Math. Ann. 316 (2000) 237-257[7] S. Iida, Adiabatic limits of η-invariants and the Meyer function of genus two, master's thesis, the university of Tokyo (2005)[8] Y. Matsumoto, Lefschetz fibration of genus two - a topological approach -, Proceedings of the 37th Taniguchi Symposium on Topology and Teichmuler Spaces held in Finland, ed. S. Kojima et al., World Scientific Publ., (1996) 123-148[9] W. Meyer, Die Signatur von Flachenbundeln, Math. Ann. 201 (1973) 239-264[10] T. Morifuji, On Meyer's function of hyperelliptic mapping class groups, J. Math. Soc. Japan. 55 (2003) 117-129[11] K. Yoshikawa, Discriminant of Theta divisors and Quillen metrics, J. Diff. Geom. 52 (1999) 73-115
審査要旨 要旨を表示する

1973年W.Meyerは境界付き実曲面上の楕円曲線束の符号数を研究し,楕円曲線の写像類群SL2(Z)の符号数コサイクルを有理数上でコバウンドする関数を明示的に与えた.この関数は「種数1のMeyer関数」と呼ばれる.1987年M.Atiyahは種数1のMeyer関数を研究し,Meyerの公式が多くの異なる側面を持つ事を指摘した.例えば,Atiyahは種数1のMeyer関数の値をSL2(Z)の元に対して定まる清水み関数の特殊値として表示したが,この理解は後にJ.-M.BismutとJ.Cheegerにより高次元トーラス束のn-不変量と或るL-関数の特殊値の一致という形で一般化され,符号数欠損に関するHirzebruch予想の別証明と拡張に応用された.

Atiyahの仕事において論文提出者が注目したのは,種数1のMeyer関数の楕円曲線の写像トーラスに対するn一不変量の断熱極限としての表示とDedekind n一関数のモジュラー変換則を用いた表示である.ここで,n一不変量とは奇数次元Riemann多様体の或るDirac型作用素に対して「正固有値の数と負固有値の数の差」として形式的に定まるスペクトル不変量であり,ζ一関数による正則化を用いて定義される.

論文提出者は上記のMeyerとAtiyahの結果を主偏極Abel多様体のテータ因子の可微分族に対して拡張し,Meyer関数の構成を行うと同時に特別な場合にその値を決定した.主要な結果は,次の三点に要約される.

(1)パンツ上のテータ因子の族の符号数を用いて,テータ因子のモジュライ空間の基本群の二次元コホモロジーの元が定まり,符号数コサイクルと呼ばれる.テータ因子の写像トーラスに対するη一不変量の断熱極限とMumford保型形式を用いて,符号数コサイクルをコバウンドするMeyer関数をモジュライ空間の基本群上に構成した.

(2)テータ因子のモジュライ空間の基本群の一次元コホモロジー群の決定.その結果として,テータ因子の符号数コサイクルをコバウンドする基本群上の関数は一意的でない事を示した.

(3)テータ因子のモジュライ空間の基本群は,Riemann面の写像類群におけるTorelli群に対応する無限生成の標準的な部分群を含む.このTorelli群の類似物の自然な生成系に対して,Meyer関数の値を決定した.値は次元から決まる有理数とBernou11i数の積として表示され,特に零でない有理数である.

論文提出者のテータ因子に対するMeyer関数の研究により,初めてη一不変量の断熱極限に高次元保型形式が現れた.この意味で論文提出者の得た結果は斬新であり学位論文として充分に評価できるものである.

よって,論文提出者飯田修一は博士(数理科学)の学位を受けるにふさわしい充分な資格があると認める.

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