学位論文要旨



No 123864
著者(漢字)
著者(英字) SESHADRI, Neil
著者(カナ) シェシャドリ,ニール
標題(和) 接触構造の不変量と擬エルミート幾何学
標題(洋) Contact Invariants and Pseudohermitian Geometry
報告番号 123864
報告番号 甲23864
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(数理科学)
学位記番号 博数理第322号
研究科 数理科学研究科
専攻 数理科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 平地,健吾
 東京大学 教授 野口,潤次郎
 東京大学 教授 坪井,俊
 東京大学 准教授 高山,茂晴
 東京大学 准教授 吉川,謙一
内容要旨 要旨を表示する

この博士論文は、接触構造の高次の微分に関係する局所的、および大域的不変量に関する3つの研究をまとめたものである。第一部では接触多様体を無限遠境界とするアインシュタイン計量の構成をし、その計量に関する繰り込み体積を考察する;また計量の構成の障害として新しい局所不変量を与える。第二部では接触多様体上の自然な複体(ルマーン複体)を用いた接触構造の解析的トーションを定義しその変分を考察する。第三部では強擬凸領域の完備アインシュタイン・ケーラー計量に関する繰り込み体積と境界の接触構造の関係式を与える。いずれも放物型幾何学(構造群が放物型部分群である幾何)の視点からの結果であり、漸近展開(繰り込み)をとおして幾何構造の高い微分を含む不変量を構成するものである。

第一論文:よく知られているように強擬凸領域には完備アインシュタイン・ケーラー計量(チェン・ヤウ計量)gEKが一意的に存在する。これは領域の境界MのCR構造からMを無限遠境界とする完備アインシュタイン・ケーラー多様体への対応と見ることができる。本論文では、この対応の類似を可積分条件を仮定せずに構成することを考える。

実2n+1次元コンパクト多様体M上に接触構造Hとそれに両立する概CR構造Jが与えられているとする。境界付きの2n+2次元多様体X:=M×(-1,0]上で9=ρ-290,ここでρ∈(-1,0]であり90はX上の滑らか(C∞)な対称2形式,の形の計量を考える。gEKの境界挙動を一般化することによりgに次のような境界挙動を要請する。

接触多様体(M,H)に接触形式θと与え、それに付随するレーブ・ベクトル場Tとレビ計量hとり、H,θ,Tをρ-不変にX上に拡張する。またMをM×{0}と同一視する。

(1)M上で90はθ2の関数倍(とくに901H=0(ρ));

(2)M上でP-190匿はんと共形同値;

(3)lld1ogρll2g=1+0(ρ);

(4)W∈r(E)に対して9(T,W)はX上で有界;

(5)X上の1形式μ,vに対してg-1(μ,v)=0(ρ)かつ9-1(dp,μ)=0(ρ2).

これらの境界条件を満たす計量gを漸近的複素双曲型(ACH)計量とよぶことにする。第一論文の最初の定理はアインシュタイン方程式

Eing:=Ricg+2(n+2)g=0

のACH計量解の近似的な存在および一意性に関する次の結果である。

定理A.近似的なアインシュタイン方程式

Ein=O(ρn), Ein(W,Z)=O(ρ(n+1)),

ここで(W,Z)はr(H)×r(TX)を動く,をみたすACH計量gが存在する。さらにgが同じ方程式を満たすACH計量であれば、Mを固定するXの微分同相FでG:=g'-F*gが

G=O(ρn),G(W,Z)=O(ρ(n+1)),

ここで(W,Z)∈F(H)×F(TX),をみたすものが存在する。

この近似的アインシュタインACH計量gを用いることにより、(第三部で説明する)gEKに関する領域の体積の漸近展開の一般化を考えることができる。負のεに対してXε:={ρ<ε}とおくときVolg(Xε)は有限の値をもちε→0のときに発散する。Volg(Xε)の定義にはgとρの選び方の任意性が含まれるため(M,H)から決定することはできない。しかし、その漸近展開には不変量が現れる:

定理B.近似的アインシュタインA(YH計量gについて、漸近展開

Volg(Xε)=coε(-n-1)+c1ε(-n)+・・・+cnε(-1)+Llog(-ε)+O(1)

の係数Lは接触多様体(M,H)の不変量である。

近似的アインシュタインACH計量gは、強擬凸領域上のフェファーマンの近似的完備アインシュタイン・ケーラー計量を一般化したものであり、第三論文で与えたCR不変量Lが実は接触構造だけで決まることを主張している。

定理Aで与えた近似解が実は最良であり、漸近解の構成に概CR構造の不変量が障害として現れることも分かる。境界Mの定義関数ρを90=θ2+0(ρ)となるように正規化し、M上の実数値関数βおよびH*の断面0を次のように定義する:

B:=ρ(-n)Ein(T,T)M

O(W):=ρ(-n-1)Ein(T,W), W∈HM.

命題.(i)βおよび∂は近似的アインシュタインA(加計量gの選び方によらず(M,H,θ,」)によって決定される。

(ii)接触形式をθ=e2rθと変形するときに、βは変換則

B=e(-2)(n+2)rB

をみたす。よって8は(M,H,のの不変量である。さらにG1が成り立てば1形式0は変換則

O=e(-2)(n+2)rOA

をみたす。

スカラー関数βはフェッファーマンによる完備アインシュタイン・ケーラー計量の構成に現れた障害関数と一致する。可積分CR構造ではこれが唯一の障害不変量であり、β=0であればEin=0の漸近解の存在が知られている。0は可積分CR構造では消えるテンソルであり、ACH計量を用いた設定で新しく発見された不変量である。

命題の示すようにβまたは∂が消えなければ、滑らかな90の範囲では高次の近似を構成することはできない。そこで滑らかさの仮定を弱め、

g=ρ(-2)(g0(0)+g0(1)ρnlog(ρ))

ここでg0(o),g0(1)はX上でC∞,という形のACH計量を考える。

補題.対数項をゆるすACH計量gで

Eing(T,T)=O(ρ(n+1)log(-ρ)),

Eing(Y,Z)=O(ρ(n+2)log(-ρ)),

ここで(W,Z)はF(H)×F(TX)1をみたすものが存在する。

これは漸近解の構成の第一歩の考察であり、無限次の解をえるにはさらに対数項のべキ(pnlog(-ρ))kを導入する必要があると予想できる。

第二部では、接触多様体上のルマーン複体の解析的トーションを考察する。接触構造を用いれば微分形式のバンドルから部分束または商束を考えることにより、いくつかの自然なベクトル束を作ることができる。ドラーム複体にたいしてこの手続きをほどこすことにより次のような局所完全な複体(ルマーン複体とよばれる)を構成することができる:〓ここでΩPはp形式の空間、Ipはθで生成されるイデアル、Jrpはθ成分を含むp形式の空間である。dHは外微分から誘導される1階の微分作用素、Dは2階の微分作用素である。この複体のコホモロジーはドラーム・コホモロジーと同型である。

リーマン幾何および共形幾何に現われる解析的トーションの類似としてルマーン複体の解析的トーションをラプラシアンのゼータ関数のうまく選択した一次結合の零点での微分で定義する。Ωk/Ikと、Jkを統一的にRkと書き、が上の4階のラプラシアンを〓と定義する。△kのスペクトル・ゼータ関数ζκ(s)の一次結合〓を考え、接触構造の解析的トーションTorを〓で定義する。κ(s)の定義は接続形式θおよび概CR構造」の選び方に依存することを注意しておく。

定理c.(i)κ(o)はθおよび」の選び方によらない接触構造の不変量である.(ii)θおよび」の変形に関する接触構造の解析的トーションの変分Tor●は〓をみたす。ここでα:=*-1*●またan+1;kは△kの熱核の対角線への制限の時刻0での漸近的展開のt0の係数、Pkはker△k.への直交射影である。

κ(s)の定義にあらわれる一次結合は(i)の要請をみたすように選んだものである。n=1の場合には定理をより具体的に書き下すことができる。

系.n=1のときk(0)=0であり、共形変形(θε=e2rεθ,Jε=J)に関するTorの変分は〓であたえられる。ここでc1,c2は普遍定数、Sca1は田中一ウエブスター接続のスカラー曲率、All,11はトーションの2階共変微分,△bはサブラプラシアンである。

3次元のCRザイフェルト多様体(すなわち、CR構造を保つS1作用を生成するレーブ場が存在する場合)においてはTorが古典的なレイ・シンガー解析的トーションと一致することがルマーンにより示されている。この場合はTorは位相的な不変量であり、とくに接触不変量でもある。これは上記の接触構造の解析的トーションの定義の妥当性の裏付けである。

第三部では境界付き強擬凸多様体Xの内部Xの完備アインシュタイン・ケーラー計量gEKについての体積くりこみを調べた。境界MにはXの複素構造からCR構造が誘導される。M上の接触形式θを固定し〓をみたすMの定義関数ρをえらぶ。このとき集合Xε={ψ<ε}の体積はという展開をもつ。定数項Vを(X°,g(EK))の繰り込み体積と定義する。LはM上の接触形式θの局所不変量の積分として表されるMのCR不変量である。第一部で述べたようにこれは接触構造の不変量になる。一方、VはCR不変量ではなくθの共形変形に関するアノマリーをもつ(Vのθへの依存性を明示しVθと書くことにする)。n=1の場合にその表示は次で与えられる。

定理D.n=1のとき接触形式の共形変形θ=e2rθに関する繰り込み体積のアノマリーは次で与えられる:〓ここで、r1,r11はrのT1,0M方向の共変微分,レビ計量を用いて添字の上げ下げを行う。

系.n=1とする。9EKの曲率に対する第kチャーン形式をckとするとき、Xのオイラー指標は次の表示をもつ:〓ここでは.MのCR不変量である。

第一部および二部では二つの新しい接触不変量をあたえたが、これらはn=1の場合には恒等的に消える;また高次元では計算が困難である。近年、他の研究者によっても微分幾何学の道具を用いた接触不変量の構成が行われているが、その計算は困難である。(一方、いわゆる接触位相によって定義される接触不変量はより研究が進められており計算も可能である場合が多い。)微分幾何的な接触不変量は、第一部で調べた接触不変量Lのように、擬エルミート不変量(θの曲率)の積分であると予想できる。ここでシンガーの有名な予想を解決するギルキーの定理を思い出す。

定理(ギルキー).リーマン多様体(M,g)のある局所スカラー不変量の積分が計量gによらない大域的不変量L(M)を与えるとする。このとき五(M)はMのオイラー指標の普遍定数倍である。

とくに奇数次元の多様体上での局所リーマン不変量の積分として表示される位相不変量は自明である。ギルキーの定理の類似として次の問題提起する。

問.局所擬エルミート不変量の積分が接触不変量を与えるとき、この接触不変量は恒等的に消えるのか。

接触構造を固定したとき擬エルミート計量の自由度は制限されるため、ギルキーの不変式論を用いた証明を適用するのは困難である。またギルキーの定理はLが共形不変量であるという仮定では成り立たない;実際、局所共形不変量の積分としてオイラー指標以外の共形不変量がたくさん構成できる。接触構造に付随する擬エルミート計量には概複素構造Jによる自由度も含まれるので、問題の解決には、これらの自由度を記述する新しい理論が必要である。これは、接触不変量と擬エルミート幾何学の関係をもっと調べる、十分な動機付けである。

審査要旨 要旨を表示する

この博士論文は接触多様体の高次の微分に関係する不変量についての次の2つの研究結果を含んでいる。

1.複素領域の繰り込み体積の接触不変量による記述

強擬凸複素領域には完備アインシュタイン・ケーラー計量(チェン・ヤウ計量)がただ一つ存在し、その無限遠での挙動から境界上のCR構造(レビ共形構造)が与えられる。第一部ではチェン・ヤウ計量から定義される繰り込み体積がCR構造の下部構造である接触構造だけによって決定されることを示している。ここで繰り込み体積とは、発散量であるチェン・ヤウ計量に関する領域の体積の境界における漸近展開の係数として定義される双正則不変量である。証明の基礎となるのはチェン・ヤウ計量の構成の可積分とは限らないCR構造への拡張である。これにより概CR構造にたいしても繰り込み体積が定義可能となり、その変分を計算することにより定理が証明される。チェン・ヤウ計量の可積分性を仮定しない精密な解析はそれ自体、新しい発見を含んでいる:計量の構成の障害として概CR構造の新しい局所不変量が定義される。この不変量は放物型不変式論からその存在が予想されていたものであり、この発見により線形部分をもつ概CR構造の不変量が全て与えられたことになる。またチェン・ヤウ計量の一般化は完備多様体の散乱理論などへの応用も期待されるCR多様体の基礎理論である。

II.接触多様体の解析的トーションの変分公式

接触構造は奇数次元多様体の接空間の余次元1の部分束として与られる。この部分束を用いることによりド・ラーム複体を既約束の断面に分解し、ルミン複体とよばれるより精密な複体を構成することができる。第二部ではルミン複体の解析的トーションを定義し、その概CR構造および接触形式の変形に関する変分公式を導いている。ルミン複体は楕円形でなく、また微分作用素も一・階とは限らないため、これまでに知られていた理論とは異なる解析が必要となる。この論文では複体に現れる各空間において4階のラプラシアンからゼータ関数を定義し、その微分の一次結合として解析的トーションを与えている。最近、論文提出はルミン氏との共同研究により、S1対称性をもつ接触多様体においてはこのトーションが位相不変量であるレイ・シンガー解析的トーションと一致することを示されている。これは接触構造の解析的トーションの定義の妥当性を裏付けるものである。

以上の二つの研究は放物型幾何学とよぼれる放物型部分群の表現論を基礎とする微分幾何学に新しい視点を与えるものであり、今後の発展が多いに期待できる。よって論文提出者NeilSeshardiは博士(数理科学)の学位を受けるにふさわしい充分な資格があると認める。

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