No | 124979 | |
著者(漢字) | 河内,一樹 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | カワチ,カズキ | |
標題(和) | 流言伝播モデルとパーシステンス解析 | |
標題(洋) | Rumor Transmission Models and Persistence Analysis | |
報告番号 | 124979 | |
報告番号 | 甲24979 | |
学位授与日 | 2009.03.23 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(数理科学) | |
学位記番号 | 博数理第334号 | |
研究科 | 数理科学研究科 | |
専攻 | 数理科学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 社会情勢が変化すると,その情報を把握すべく我々は言語による意思疎通を図る.しかしその活動によって我々の心理や行動が変容し,そのミクロな変化が社会情勢を変容することも多い,従って,ある言説が人々の間に広がるダイナミクスを調べることは社会を安定化するために有用な視点を提供すると考えられる. 本論文では,口頭でのコミュニケーション(口コミ)が連鎖することで短期間の間に不特定多数の人々に大規模に広まる言説を「流言」と定義する.そして,流言を知って積極的に広めようとする人の多寡によって,その流言が広まっているかどうかを判断し,その人数の時間変化を数学的に解析する. 流言が伝播する基本的な仕組みは,「流言を知らない人」が「流言を知って広める人」に出会い会話する中で,「広める人」がその流言を話題にすることで「知らない人」が流言を知る,というものである.一方,感染症が広まる基本的な仕組みは,未感染者が感染者に接近することで感染者から未感染者に病原体が移り,未感染者が発症するというものである.この類比から,感染症のモデリングと同様のモデリングを流言伝播に対して行うことには一定の意義を認めることができる. 先に感染症の数理モデルとして最も基本的な,SIRモデルを簡単に紹介する.人口を感受性人口(susceptibles),感染人口(infected; infectious),隔離された人口(recovered; removed)の3状態に分類し,各状態ごとに人々の行動が均一化されていると仮定する.未感染者と感染者の接触によって未感染者が感染し,また感染者は一定の割合で隔離状態に移行する,という状態遷移を考慮して,各状態の時刻tでの人口(あるいは人口密度)をそれぞれS(t),I(t),R(t)で表すと,SIRモデルは なる常微分方程式系で表される.ここでβは感染率,γは隔離率で,βI(t)は感染力である.実際には,感染症に関する状態をさらに細かく分類するが,R-状態の個体が他の状態の個体と接触しても病原体を広めることはなく,状態遷移を引き起こさないことに注意する. 本論文で解析を行う流言伝播モデルを紹介する.Chapter 1では,ある流言に関する状態に着目して,人口を感受性人口(susceptibles,流言を知らない人たち),広め役人口(spreaders,流言を知って広める人たち)及び火消し役人口(stiflers,流言は知っているが伝播を阻止する人たち)の3状態に分類する.個体間の接触により引き起こされる状態遷移として次の3通りを考える. (i)感受性個体と広め役個体が接することで,感受性は流言を知り,一定の割合で広め役に,また一定の割合で火消し役に遷移する. (ii)広め役個体同士が頻繁に接し流言を話題にすることで,飽きが生じて,一部の広め役個体が火消し役に遷移する. (iii)広め役個体と火消し役個体が接すると,広め役個体が話題提示した流言に対して火消し役個体が「関心を示さない」「否定的な見解を見せる」ことで,一部の広め役個体が火消し役に遷移する. (iii)は,SIRモデルで言えば,R-状態の個体は免疫保持者であって,I-状態の個体に出会うと自らが保持する免疫をI-状態の個体に渡すと表現できるだろう.これは感染症において非現実的であり,ここに流言と感染症との1つの差異が存在する.また,多くの感染症では病原体が短期間には突然変異しないのに対して,「噂に尾鰭がつく」の言い回しにもあるように,流言の殆どは短期間に次々と変容する,という重大な違いがある.この効果を考慮する場合,Chapter 1では広め役に関しては会話を通じて常に最新の流言を得ており状態遷移を考えない.一方で火消し役に関しては積極的に流言に関する情報を得ないために,自分が知りえた流言からある程度変化した流言は実質的には知らないのと同然とみなし,火消し役個体は一定の割合で感受性に遷移すると仮定する. その上で,考えている人口集団について, 閉じた集団出産や死亡を考慮せず,また移民(流出・流入ともに)も存在しない.短期間での流言伝播を考えるならば妥当な仮定である. 一定の流出入常に一定量の新規人口が感受性個体として人口に加わる一方で,一定の流出率(死亡や外部への流出)で人口集団から外れる. 年齢構造年齢ごとに,個体間の接触頻度や状態遷移の確率が異なる.出生率や死亡率も年齢に依存するが,流言に関する状態には依存しない. の3つのケースについて微分方程式モデルを提唱し,系の適切性を確かめた上で,系の大域的挙動,すなわち十分時間が経過したときに各状態の人口密度や全体に占める割合がどうなるかを調べる 「閉じた集団」の場合,総人口が一定であることと人口は常に非負値を取ることから,微分方程式は実質的には2次元の有界閉集合上での自励系非線形常微分方程式系となる.そしてDulac-Bendixsonの判定条件を用いることで解軌道のω集合は必ずある平衡点となることが証明される.従って,平衡点の個数や局所安定性を調べれば,系の大域的挙動がほぼ特定できることになる.「一定の流出入」の場合も,十分時間が経てば総人口が一定値に収束することから,その極限的状況に注目すれば「閉じた集団」と同様の取り扱いが可能となる. 平衡点の種類として大きく分けて全員が感受性の平衡点(RFE;rumor free equilibrium),広め役や火消し役が存在する平衡点(REE;rumor endemic equilibrium)が考えられる.そのどちらが大域的に漸近安定かは,RFEの状態にごく少数の広め役が侵入した際に一定期間に新規に生まれる広め役の数と,人口の流出入に伴う広め役の減少の度合いの大小で定まり,前者が大きいとREEが漸近安定となることを常微分方程式系で証明する. 年齢構造を考慮したモデルは境界条件のついた偏微分方程式系として表される.この場合,RFEは常に存在し,RFEの状態にごく少数の広め役が侵入した際に一定期間に新規に生まれる広め役の最大数がある作用素のスペクトル半径として求まる,これが1より小さいとREEは存在せず,1より大きいとRFEから分岐する形でREEが存在し,分岐点の近傍で局所安定であることを示す. 平衡点の安定性以外に系の大域的挙動を調べる一つの指標として注目されているのが,パーシステンスと呼ばれる概念である.これは十分時間が経過したときに,系のある成分が絶滅せずに生存しているかを表すものである。その中でも最も強い概念である一様強パーシステンスとは,ある定数εが存在して,その成分が正であるような任意の初期条件に対して,十分時間が経過すると,その成分量が必ずεを上回る,というものである. Chapter 2では,系が一様強パーシステントであるための十分条件を与える定理を引用し,その定理の適用例を2つ紹介する.また,同じ方法をChapter 1とChapter 4で扱う年齢構造モデルにも適用し,流言の広め役や火消し役に着目して一定条件下で系が一様強パーシステントであることを証明する.これは,その条件下では,最初に広め役や火消し役がいるなら,十分時間が経てば広め役や火消し役が必ず一定数以上になることを意味する. さて,流言伝播には口コミが大きな影響を与えるものの,外部情報源が流言伝播に与える影響は無視できない.ここではマスコミだけでなく,マスコミを通じて周囲に多大な影響力を与える人々もマスコミと同一視して扱う.また,Chapter 1では火消し役が自ら流言について話題にしないことを暗黙のうちに仮定するが,例えば対抗流言を流すなどの方法で,流言伝播を積極的に抑えようとすることも考えられる.このような火消し役を,Chapter1で考えるものと区別して「積極的火消し役」(active stiflers)と定義する.Chapter 3では閉じた集団において 火消し役か,それとも積極的火消し役か 流言が変容する場合,しない場合 マスコミの影響力がない場合,流言伝播に影響を与える場合,流言伝播の抑制に影響を与える場合 をいろいろ組み合わせて,系の大域的挙動を調べる.その中で,「積極的火消し役」「流言が変容する」「マスコミが影響を与える」と組み合わせたモデルについて,パラメータの取り方によって前進分岐も後退分岐も起こりうることは特筆すべきである.流言を抑制するための目標設定に影響するからである. 火消し役の意味づけが異なることで系の挙動が異なる可能駐をさらに調べるために,Chapter 4では積極的火消し役が関与する年齢構造化流言伝播モデルを提示し,Chapter 1と同様の考察を行う.このモデルではChapter 1のモデルと異なり,感受性と広め役のみが共存する平衡点,感受性と積極的火消し役のみが共存する平衡点が考えられる.それぞれの平衡点が存在するための条件や局所安定性を導出することができる. | |
審査要旨 | 本論文において、著者河内一樹は、これまで社会学、心理学、経済学、情報科学等において学際的に論ぜられてきた情報、流行、文化、態度などの伝搬過程、とくに人口レヴェルにおける噂や流言などの言説の流布に関する数理モデルを提起し、その数理解析をおこなっている。 このような広義の情報伝搬過程の数理モデルの起源は、おそらくN.RachevskyやA.Rapoportによる1930年代から50年代にかけての社会関係や情報伝達に関する数理モデルにあるであろうが、感染症数理モデルとの関連では、D.G.Kendall、D.J.Daley等による60年代の研究がある。しかし、1980年代以降、感染症数理モデルがきわめて盛んに研究されるようになり、生命数理科学における最大の研究領域になりつつあるのに比べると、社会的情報伝搬過程の数理モデルに関しては、最近のネットワーク理論を例外として、成果に乏しく、ことに微分方程式モデルに関しては見るべき発展がなかった。 著者は、口頭でのコミュニケーションが連鎖することで短期間の間に不特定多数の人々に大規模に広まる言説を「流言」と定義する。これは感染症数理モデルとの類比でいえば、感染因子に相当するものであり、感染症数理モデルとの類似性は著者のモデル構築の基礎である。古典的なSIR型感染症モデルにおいては、人口は感受性状態、感染性状態、回復・免疫状態に3分割され、感染性人口と感受性人口の出会いによって感染が拡大する。これに対応して著者は、流言が伝播する基本的な仕組みは、「流言を知らない人」が「流言を知って広める人」に出会い、「広める人」がその流言を伝達することで「知らない人」が流言を知るというものであると考える。一般の重症化にいたらない感染症では、一定の感染期間ののち、感染者は回復して免疫性を獲得する。これに対して、著者は、免疫性のかわりに、消極的に、あるいは積極的に流言流行を阻止する役割の人口を想定した。感染症においては、感染からの回復や免疫性の獲得は治療行為がなければ非人為的で自然な過程であるが、流言・流行伝搬においては、人間の意識的行為による様々な反応が予想され、この点が感染症流行との大きな違いと考えられる。 第一章では、ホスト人口集団を、特定の流言に関して感受性のある人口(susceptibles,流言を知らない人たち)、広め役人口(spreaders,流言を知って広める人たち)及び火消し役人口(stiflers,流言は知っているが伝播を阻止する人たち)の3状態に分類したうえで、個体間の接触と情報伝達により引き起こされる状態遷移として次の3通りを考えている。(i)感受性個体と広め役個体が接することで感受性は流言を知り、一定の割合で広め役に、または一定の割合で火消し役に遷移する:(ii)広め役個体同士が頻繁に接し流言を話題にすることで、飽きが生じて一部の広め役個体が火消し役に遷移する:(iii)広め役個体と火消し役個体が接すると、広め役個体が話題提示した流言に対して火消し役個体が「関心を示さない」「否定的な見解を示す」ことで、一部の広め役個体が火消し役に遷移する。ここで、感染症流行モデルと対照させて考えると、(ii)は感染者同士に自己相互作用があることを意味し、(iii)は感染者から免疫保持者への遷移が、自然な回復過程以外に免疫保持者の密度に依存する過程として想定されているわけであり、これまでの感染症流行モデルでは考察されたことのないプロセスである。感染症流行においても、病原因子の進化的変異は重大な問題ではあるが、流言の伝搬においては、流言内容はより不安定であり時間的に変動しやすい。著者は、広め役に関しては常に最新の情報によって流言内容を更新し続けるが、火消し役に関しては積極的に流言に関する情報を得ないために、流言の内容変化にともなって一定の割合で感受性に遷移するという仮定によって流言内容の変動を表現している。 上記の仮定のもとで、ホスト人口集団については、(i)人口学的変動を無視した閉鎖人口集団における短期的流行モデル、(ii)出生・死亡などの人口学的要素を考慮した長期的流行モデル、(iii)ホスト人口の年齢構造を考慮したモデル、の3つのケースについて微分方程式モデルを提唱し、システムの数学的適切性を示した上で、系の漸近的挙動を解析している。 これらのモデルにおいては、流言が存在せず、全員が感受性である自明な平衡点が常に存在するが、広め役の持続的拡大という意味での流行が発生するか否かは、パラメータによって与えられる閾値によってきまる。これは感染症流行における基本再生産数とそれによって定式化される閾値現象と同じである。人口学的に感受性人口が補充される場合は、流行が発生すれば、広め役や火消し役が存在する平衡点が分岐して、安定性の交換がおきる。常微分方程式系に関しては、安定性は大域的なものであることが示されている。年齢構造を考慮した偏微分方程式モデルに関しては、流行発生の閾値条件を与える再生産数は、ある種の正作用素のスペクトル半径として与えられ、これが1より小さいと共存定常解は存在しないが、1より大きいと自明定常解から共存定常解が前進分岐して、やはり安定性の交換がおきることが示されている。しかし一般に偏微分方程式系では、分岐した正定常解の一意性や大域安定性は無条件では期待できないが、そうしたリアプノブ的な意味での安定性解析のかわりに系の大域的挙動を調べる一つの方法として注目されているのが、システムのパーシステンスである。これは十分時間が経過したときに、系のある成分が絶滅せずに生存していることを表すものであり、個体群生態学において基本的な概念となってきている。著者はHorst R.Thiemeによる一般的な結果をふまえて、年齢構造化流言伝搬モデルにおいて流行閾値がクリアされた場合、spreadersに関するパーシステンスがなりたつことを示した。 第二章においては、さらに系が一様強パーシステントであるための十分条件を与える一般的定理の定理をMartcheva and Castillo-ChavezによるC型肝炎モデルおよび稲葉によるHIV/AIDSの流行モデルに適用して、基本再生産数が1より大であれば、系が一様強パーシステントであることを証明している。 第三章においては、第一章のモデルを拡張して、(i)マスコミやプロパガンダのような全人口に一様に働きかける外部情報源の存在の影響、(ii)火消し役人口が流言伝播を積極的に抑えようとする効果(感受性人口に対する対抗流言など)、(iii)流言内容の変容効果、が考察されている。その結果、上記の3つの効果がすべて考慮された場合には、パラメータの値によっては、後退分岐によって三つの内部平衡点が出現することを見いだしている。このことは、積極的な流言抑制効果によって、広め役と火消し役の人口が、感受性人口というリソースを巡って競合するためであると考えられる。こうした場合、ひとたび流言が広まると、分岐パラメータを分岐点まで低下させるだけでは必ずしも流行を根絶するには十分ではない場合があることを示している点で重要な発見である。 第四章では、第三章で考察したモデルをホスト人口の年齢構造を取り入れて拡張した上で、その解析をおこなっている。この年齢構造化モデルでは、感受性と広め役のみが共存する平衡点,感受性と積極的火消し役のみが共存する境界平衡点が出現するが、それぞれの平衡点が存在するための条件や局所安定性が、二つの正作用素の正固有値が1より大きいか否かによって決定されることが示されている。すべての状態が共存する平衡状態の存在問題は未解決であるが、複数の再生産数の存在と部分的な共存という感染症モデルにはない新しい現象を見いだしていることは興味深い。またこのような分岐解が不安定化して周期解を導くかどうかを検証することは今後の課題であろう。 以上のように、これらの結果は、流言伝搬過程における侵入条件、共存条件、パーシステンスが適切に定義された再生産数やパラメータ条件によってよく特徴づけられること、また年齢構造化個体群における流言伝搬現象においても、システムの挙動(定常解の分岐と安定性)をきめる閾値パラメータを特定することに成功している。実証的データに乏しい流言や情報伝搬のような社会現象の数理モデルは未だに非常に未発達であり、本論文におけるモデルも理論的、定性的性格を免れないが、感染症数理モデルにおいて発達してきた概念や手法が、こうした社会現象の研究においても非常に有効であることを示した本論文の、将来的な研究の基礎としての意義は十分に評価に値するものである。よって、論文提出者河内一樹は博士(数理科学)の学位を受けるにふさわしい十分な資格があると認める。 | |
UTokyo Repositoryリンク | http://hdl.handle.net/2261/28157 |