学位論文要旨



No 126109
著者(漢字) 佐藤,正寿
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,マサトシ
標題(和) レベルd写像類群のアーベル化
標題(洋) The abelianization of the level d mapping class group
報告番号 126109
報告番号 甲26109
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(数理科学)
学位記番号 博数理第351号
研究科 数理科学研究科
専攻 数理科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 河澄,響矢
 東京大学 教授 森田,茂之
 東京大学 教授 織田,孝幸
 東京大学 教授 坪井,俊
 東京大学 教授 古田,幹雄
内容要旨 要旨を表示する

d を2 以上の整数とする.本論文では,曲面の写像類群の指数有限正規部分群である, レベルd 写像類群のアーベル化, つまり整係数1 次ホモロジー群を計算した.特にd=2 または奇数についてはこのアーベル化を完全に決定した.

種数g>_1の有向閉曲面をΣgとし,埋め込まれた閉円板D⊂Σgを1つ固定する.写像類群Mg,0は向きを保つ微分同相群Diff+Σgの弧状連結成分のなす群として定義される.同様に閉円板Dを固定する写像類群Mg,1をDの各点を保つ微分同相群Diff+(Σg,D)の弧状連結成分のなす群として定義する.r=o,1について,写像類群Mg,rは曲面の整係数1次ホモロジー群に作用するが,この作用の核をTorelli群Zg,rと呼ぶ.また,d次巡回群をZdと表すとき,レベルd写像類群Mg,r[d]とは,写像類群から曲面のZd係数1次ホモロジー群への作用の核として定義される.

本論文の動機は写像類群の指数有限部分群の低次整係数ホモロジー群を決定することにあるが,Mennicke[8]により,Torelli群を含む写像類群の指数有限正規部分群は,あるdについてレベルd写像類群を含むことが知られており,この意味でレベルd写像類群は写像類群の基本的な指数有限部分群である.なお,特にレベルd写像類群の整係数ホモロジー群は,d≧3についてはレベルd構造をもつRiemann面のモジュライ空間の整係数ホモロジー群に一致することが知られている.

これまでに知られている指数有限部分群の安定ホモロジー群に関する結果は,次のものがある.まず,写像類群は曲面のスピン構造全体からなる集合に作用するが,1つのスピン構造を固定する写像類群の元全体のなす部分群はスピン写像類群と呼ばれ,ホモロジー群が計算されている.まず,Lee-Miller--Weintraub[7]はTheta multiplierと呼ばれる曲面のスピン構造と関係する解析的数を用いて,スピン写像類群上に準同型を構成した.さらにHarer[3】はスピン写像類群のcurve複体へのいて,スピン写像類群の安定mod2コホモロジー群を決定した.また,著者は[12]において,2重被覆の構造を保つ写像類群の部分群について,被覆曲面と底曲面それぞれに定まるTheta multiplierを用いて加群への準同型を構成し,安定的にアーベル化を決定している.また,Johnson[6]はTorelli群上に,現在Johnson準同型と呼ばれる加群への全射準同型を構成したが,dが奇数の場合について,Perron[9],Putman[101はレベルd写像類群上にJohnson準同型のmod d reductionを拡張し,本論文とは独立にアーベル化を決定している.また,一般のdについてPutman[11]によりcurve複体への作用を調べることにより,有理係数2次ホモロジー群も決定している.作用を調べ,アーベル化の位数の上からの評価が与え,種数について安定的に決定した.またさらに,安定有理係数2次ホモロジー群も決定した.Galatius[2]は安定ホモトピー理論を用

以下,本論文の結果について述べる.まず,レベル2写像類群のアーベル化は次のように表される.

定理1.g>_3のとき,

H1(Mg,1[2];Z)-Z2(2g(1))(+)Z4(2g(2))(+)Z8(2g(3)).

写像類群は曲面の整係数1次ホモロジー群に作用するが,整係数1次ホモロジー群の交叉形式に関するシンプレクティック基底を1つ固定すると,シンプレクティック群への全射準同型υ:Mg,r→Sp(2g;Z)が定まる.特に,レベルd写像類群のtによる像はシンプレクティック群の主d合同部分群Γg[d]に一致し,次の完全列が成り立つ.

1→Lg,r→Mg,r[d]→Γg[d]→1

これはホモロジー群の間に完全列

H1(Lg,r;Zd)→H1(Mg,r[d];Z)→Hl(Γg[d];Z)→0

を誘導し,特に上で述べたレベル2写像類群のアーベル化を用いて,d=2として次が得られる.

0→Z2→Hl(Lg,r;Z2)→Hl(Mg,r[2];Z)→H1(Γg[2];Z)→0.

dが偶数のときについて,レベルd写像類群からレベル2写像類群への自然な包含写像の誘導するホモロジー群の間の準同型を調べることにより,次のようにZ2拡大を除いてアーベル化が決定される.

系2.g>_3,dが偶数のとき,

Z2→Hl(Lg,r;Zd)→H1(Mg,r[d];Z)→H1(Γg[d];Z)→0.

上で述べたレベル2写像類群のアーベル化の決定は,具体的に加群への準同型を構成することにより行われる.写像類ψ∈Mg,i[2]を用いてファイバーの閉曲面Σ、を貼り合わせて得られる写像トーラスをMφ伊二Σg×[0,1]/(f(x),0)~(x,1)と表す.写像トーラスをスピン多様体として境界にもつ4次元多様体の符号数を用いて,Rochlin関数と呼ばれる写像トーラスのスピン構造全体からなる集合上にZ16に値を持つ関数が定まる.これを用いてレベル2写像類群から加群への準同型を構成した.この値は,写像トーラスに埋め込まれた曲面に定まるPin-構造のBrown不変量,もしくは,写像トーラスの表すスピンボルディズム類を用いて言い換えることができる.

特にこの準同型はスピンボルディズム類の言葉では次のように表せる.写像類φ∈Mg,1[2]について,議論を容易にするため写像トーラスではなく,D×Si⊂Mφに沿って写像トーラスに手術を施した閉3次元多様体Ml(φ)=(Mφ-D×S1)U(∂D×D2)を考える.この多様体の1次ホモロジー群には自然に同型Hl(Ml(φ);Z2)~=H1(Σ、;Z2)が定まる.この同型はMl(φ)からEilenberg-MacLane空間K(H1(Σg;Z2),1)への連続写像のホモトピー類を定めるが,これを代表する連続写像を1つとりf:Ml(φ]→K(Hl(Σg;Z2),1)とおく.また,多様体Mのスピン構造全体の集合をspin Mと表すとき,自然に全単射θ:spinΣg~=spin Ml(φ)が定まる.これを用いて,σ ∈ spinΣgについて,K(H1(Σg;Z2),1)の3次スピンボルディズム群への写像

ησ[2]:Mg,1[2]→Ω3(spin)(K(H1(Σg;Z2),1))

をφ→[Ml(φ),θ(σ),f]と定義すると,これは準同型であることがわかる.Heap[4]は写像類群の部分群の降下列であるJohnson filtrationにおいて,このスピンボルディズム類を用いた準同型を既に構成していたが,その値についてはfiltrationの1番目であるTorelli群について数例が計算されているのみだった.本論文の準同型はこの自然な類似物であり,Humphries[5]の得たレベル2写像類群の生成系について,この値を具体的に計算することによりこの準同型の像を調べ,レベル2写像類群のアーベル化に単射を誘導することを示し,アーベル化を決定した.

次にdが奇数の場合について述べる.先ほど述べた群の完全列から誘導されるホモロジー群の完全列について,この場合は次のようにsplitすることがわかる.

定理3.g>_3,かつ,dが奇数のとき,

H1(Mg,r[d];Z):H1(Lg,r;Zd)(+)H1(Γg[d];Z).

なおここで,H1(Lg,r;Zd)はJohnsonにより計算されており,H1(Γg,[d];Z)はMennicke[8],もしくは,Bass-Milnor-Serre[1]による合同部分群に関する結果を用いて,本論文において計算している.

手法は,Torelli群上のJohnson準同型のmod d reductionを,レベルd写像類群上に拡張し,ホモロジー完全列

謝辞

本論文の作成にあたり,修士の頃より指導教官である河澄響矢先生より熱心なご指導と数々の助言をいただいたことに心より感謝いたします.また,写像類群等に関する力強い講義を拝聴させていただき,修士課程および博士課程中に温かい励ましの言葉をかけてくださった森田茂之先生,お時間を割いて研究内容を聞いてくださり,数々の有益な助言をいただいた古田幹雄先生に深く感謝いたします.

[1]H. Bass, J. Milnor, and J.P. Serre, The congruence subgroup property for SLn (n > 3) and SP2n (n > 2), Inst. Hautes Etudes Sci. Publ. Math 33 (1967), 59-137.[2]S. Galatius, Mod 2 homology of the stable spin mapping class group, Mathematische Annalen 334 (2006), no. 2, 439-455.[3]J. L. Harer, The rational Picard group of the moduli space of Riemann surfaces with spin structure, Contemp. Math 150 (1993), 10'7-136.[4]A. Heap, Bordism Invariants of the Mapping Class Group, Topology 45 (2006), no. 5, 83-124.[5]S.P. Humphries, Normal closures of powers of Dehn twists in mapping class groups, Glasgow Math. J 34 (1992), no. 3, 313-317.[6]D. Johnson, The structure of the Torelli Group III: The abelianization of 'g, Topology 24 (1985), no. 2, 127-144.[7]R. Lee, E. Miller, and S. Weintraub, The Rochlin invariant, theta functions and the holonomy of some determinant line bundle, J. reine angew. Math 392 (1988), 187-218.[8]J. Mennicke, Zur Theorie der Siegelschen Modulgruppe, Mathematische Annalen 159 (1965),no.2,115-129[9]B. Perron, Filtration de Johnson et groupe de Torelli modulo p, p premier, Comptes Rendus Mathematique 346 (2008), no. 11-12, 667-670.[10]A. Putman, The abelianization of the level L mapping class group, arXiv:0803.0539 (2008).[11]-…The second rational homology group of the moduli space of curves with level structures, arXiv:0809.4477v1 (2008).[12]M. Sato, The abelianization of a symmetric mapping class group, Mathematical Proceedings of the Cam-bridge Philosophical Society, vol. 147, Cambridge University Press, 2009, pp. 369-388.
審査要旨 要旨を表示する

リーマン面の写像類群そのもののホモロジーの研究はI. Madsen とM. Weiss による安定コホモロジーの決定によってひと段落ついた状況にある。しかしながら、リーマン面の深いトポロジーは、写像類群そのものよりも、トレリ群やジョンソン核そして本論文の主題であるレベルつき写像類群にこそ明確な姿を表すことが予想される。このことはトレリ群およびジョンソン核についてはこれまでにD. Johnson、森田茂之、R. Hain などの研究によって明らかにされてきた。本論文は、このことをレベルつき写像類群について雄弁に立証したものと言えよう。

レベルつき写像類群は、算術群における合同部分群の写像類群における対応物でありレベルつき代数曲線のモジュライ空間の基本群である。したがってそのホモロジー群は位相幾何学のみならず数論、複素幾何学および代数幾何学においても基本的重要性をもつ。R. Hain およびJ. McCarthy はレベルつき写像類群のアーベル化つまり第一ホモロジー群が階数0 となること、つまりねじれ群となることを証明した。しかしねじれ部分を決定するには、彼等の方法は無力であり新しい着想が必要である。レベルつき写像類群のアーベル化の決定は、その問題の基本的重要性にも関わらず、近年まで手が付けられていなかった。

論文提出者佐藤正寿は、本論文においてレベルd 写像類群のアーベル化を、d が2 の場合と奇数の場合に完全に決定し、d が4 以上の偶数の場合に二次巡回群の曖昧さを除いて決定した。なお、本論文のプレプリントのインターネットへの公開後、A. Putman は佐藤の結果を受けてd が4 の倍数でない偶数の場合に二次巡回群の曖昧さを取り除いている。d が奇数の場合は、拡張されたジョンソン準同型を用いて比較的簡明に決定することができる。とくにそこではd-torsion のみが現れる。この部分は同じ時期にB. Perron およびA.Putman によっても決定されている。これに対してd が偶数の場合は、トレリ群におけるBirman-Craggs 準同型の存在から、はるかに複雑であることが予想され、実際、佐藤の計算によりその通り複雑であった。佐藤は、まずトレリ群のBirman-Craggs 準同型のA. Heapによるボルディズム群を用いた解釈をレベル2 写像類群の場合に翻訳し、レベル2 写像類群のアーベル化の不変量を新しく大量かつ組織的に定義し、pin- 構造のブラウン不変量を用いてそれらの明快な記述を与えた。。佐藤によってはじめてボルディズム不変量の組織的な計算が実行されたことになる。なおブラウン不変量はテータ函数とも深く関係している。これにより下からの評価が得られる。他方、J. Mennicke, H. Bass, J. Milnor およびJ.P. Serre による斜行群の合同部分群についての結果とD. Johnson によるトレリ群の結果を組み合わせて下からの評価を与え、以上を合わせてレベル2 写像類群のアーベル化が決定された。このアーベル化はブラウン不変量を用いて完全に記述される。奇数レベルの場合と様相が全く異なり、曲面のZ/2 ホモロジー群のZ/8 に係数をもつ群環の商となっている。

論文提出者佐藤正寿は三つの参考論文を提出している。まず第一の論文は球面上の分岐被覆の族の符号数が局所化することを位相幾何学的に証明したものである。古田幹雄が微分幾何学的に行ったものを位相幾何学に翻案したのであるが、写像類群のみならず4次元トポロジーにおいても価値のある仕事である。第二の論文は本論文の先駆けとも言える結果であって、二重不分岐被覆の写像類群のアーベル化を決定したものである。ランタン関係式を巧妙に使って上からの評価を行い、Schottky テータ函数のテータ・マルティプライアを使って下からの評価を行っている。ここにもリーマン面の深いトポロジーが姿を現している。第三の論文は曲面をファイバーとするファイバー束の

いうまでもなく、本論文には、レベルつき写像類群のアーベル化の決定という基本的な問題に、ほぼ最終的な解決を与えたという画期的な意義がある。それだけでなく、はじめて写像類群のボルディズム不変量の有効性を示したことにより、今後の写像類群のホモロジー的研究に新生面を切り開いたということができる。また、参考論文も今後の当該分野の研究に多大の示唆を与えるものである。これらの論文の数理科学の発展に寄与するところは大きい。

よって、論文提出者 佐藤正寿 は、博士(数理科学)の学位を受けるにふさわしい充分な資格があると認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51749