学位論文要旨



No 126110
著者(漢字) 篠原,克寿
著者(英字)
著者(カナ) シノハラ,カツトシ
標題(和) C1通有的に野性的なホモクリニック類の指数問題について
標題(洋) On the index problem for C1-generic wild homoclinic classes
報告番号 126110
報告番号 甲26110
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(数理科学)
学位記番号 博数理第352号
研究科 数理科学研究科
専攻 数理科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 林,修平
 東京大学 教授 坪井,俊
 東京大学 教授 古田,幹雄
 東京大学 准教授 河澄,響矢
 東京大学 准教授 足助,太郎
内容要旨 要旨を表示する

M を滑らかな閉リーマン多様体とし,そのC1 微分同相群をDiff1(M)で表し,C1 位相を導入する.P をf ∈ Diff1(M) の双曲型周期点,つまり線形写像dfper(P)(P) (per(P) はP の周期)が絶対値1 の固有値を持たないような周期点とする.このとき,(不)安定多様体定理により,P の安定多様体Ws(P; f),不安定多様体Wu(P; f) が定義される.Wu(P; f)の次元をP の指数といい,ind(P) と表す.

P に対し,Ws(P; f), Wu(P; f) が横断的に交わる点の集合の閉包をPのホモクリニック類(homoclinic class) といい,H(P; f) で表す.H(P; f)は双曲型周期点が稠密であり,位相推移的であることが知られている.双曲型力学系(ノーサイクル条件を満たす公理A 微分力学系)の研究において,ホモクリニック類は上のような性質から重要な役割を果たしてきた.そして,この集合が非双曲型力学系の研究においても重要であることがいくつかの研究を通じて示唆されている.

双曲型力学系では,ホモクリニック類は一様双曲性(uniform hyperbolicity)と呼ばれる性質を持つことが分かり,これを用いてその上の力学系をかなり繊細なレベルまで調べることができる.一方,非双曲型力学系では,ホモクリニック類は一様双曲性を持つとは限らない.一様双曲性を持たないホモクリニック類は,部分双曲性(partial hyperbolicity) や優越分解(dominated splitting) などの弱い双曲性が見られる場合もあるが,これらの弱い双曲性すら許容しない,野性的(wild) と呼ばれるホモクリニック類が存在し,それらは非常に複雑な軌道のふるまいを示すことが知られている.

これらのホモクリニック類において,どのような仕組みでその双曲性が失われているのか,というのは興味深い問題である.本論文はこのような問題意識に基づいて,野性的ホモクリニック類の中の周期点の指数について,C1 通有的(generic) な観点から研究したものである.

正確に問題を述べるために,いくつかの定義を準備する.

定義1. Λ ⊂ M をf - 不変集合,つまり,f(Λ) = Λ であるような集合とする.Λ が優越分解を許容するとは,正整数l,およびTM|_ の非自明なf - 不変部分束F, G でTM|_ = F (+)G となるものが存在し,任意のx ∈ Λ に対して,不等式

∥dfl(x)|F ∥∥(df)-l(fl(x))|G∥ < 1=2,

が成立することである.ここで∥ ・ ∥ はリーマン計量から定まる作用素ノルムである.

定義2. Λ ⊂ M をf - 不変集合とする.Λ の指数集合ind(Λ) を,Λ に属する双曲型周期点の指数の集合と定義する.すなわち,

ind(Λ) := { ind(p) ∈ N | p ∈ Perh(f) ∩ Λ}

とする.ここで,Perh(f) はf の双曲型周期点の集合を表す.

定義3. ホモクリニック類H(P; f) が野性的であるとは,f ∈ Diff1(M)の近傍U が存在して,任意のg ∈ U についてP(g) のホモクリニック類H(P; g) が優越分解を許容しないことをいう.ここで,P(g) はP のg に対する接続を表す.

本論文では以下のような問題を取り扱った.

問題1. C1 通有的な微分同相写像f に対して,H(P; f) が野性的であるとき,ind(H(P; f)) についてどのようなことが言えるか?

この問題の重要性は例えば以下のような点にある.今までに野性的ホモクリニック類の具体的な例がいくつか与えられている.それらの例は異次元へテロクリニックサイクル(heterodimensional cycle) と呼ばれる構造を持つ力学系から,その中の周期点を,微分写像が複素固有値を持つように分岐させる,という手法により構成されてきた.この議論の要は,ホモクリニック類の中に指数の異なる周期点があるというところにあるのだが,これ以外に野性的ホモクリニック類が発生する機構が存在するかどうか,というのは自然な問いである.この問いは,問題1 の特殊な場合である,次の問題に言い換えることができる.

問題2. C1 通有的な微分同相写像f に対して,H(P; f) が野性的であるとき,# ind(H(P; f)) >_ 2 か?

この問題に対し,3 次元多様体上の野性的ホモクリニック類に関して次の結果を得た.以下の定理で,周期点P が体積拡大的(体積縮小的)であるとは| det(dfper(P)(P))| > 1 (< 1) が成立することである.

定理1 (Theoerm 1). 任意の滑らかな3 次元閉リーマン多様体M に対し,Diff1(M) の残留集合(residual set) R が存在して,次が成立する:f ∈ R が野性的なホモクリニック類H(P; f) を持ち,かつ体積拡大的な周期点Q ∈ H(P; f) が存在するならば2 ∈ ind(H(P; f)) である.

この定理の系として,次を得る.

系(Corollary). M は定理1 と同様とする.Diff1(M) の残留集合R が存在して,次が成立する:f ∈ R が野性的なホモクリニック類H(P; f)を持ち,かつ体積拡大的な周期点Q ∈ H(P; f) と体積縮小的な周期点R ∈ H(P; f) が存在するならばind(H(P; f)) = {1; 2} である.

問題2 が肯定的であるならば,この系における体積拡大的,縮小的な周期点の存在の仮定は不要であるのだが,現段階ではこの間の溝を埋められていない.

定理1 の背景にある考え方は次のようなものである.ホモクリニック類が野性的であることから,微分写像の拡大方向があらゆる方向へと「飛散」する.それゆえ,この飛散する双曲性をうまくまとめることにより,望んだ指数をもつ双曲型周期点を作ることができる.

この考え方に基いて同様の問題を高次元で考えた場合,野性的なホモクリニック類の指数集合は「大きな」集合になると推測できる.本論文では,このようなが推測が一般には適当ではないこと示す例を与えた.正確に述べると,次の結果を示した.

定理2 (Theorem 3). 任意の滑らかな4 次元閉リーマン多様体M に対し,f ∈ Diff1(M),P ∈ Perh(f), f の開近傍U,およびU の残留集合R が存在して,次が成立する:

1. g ∈ R ならば,H(P; g) は優越分解を許容しない.

2. ind(H(P; g)) = {2; 3}.

以下で定理1, 2 の証明について,その概要を述べる.

定理1 の証明は二つの部分に分けられる.まず「ホモクリニック類が優越分解を許容しない」という線形代数的な情報から,微分のふるまいが非双曲的である周期点を見つけ出し,その周期点に沿ってC1 微小摂動を加え,退化したホモクリニック接触(homoclinic tangency) を持つ周期点を作る.次に,このホモクリニック接触の分岐を通じて,もとのホモクリニック類の中で異次元へテロクリニックサイクルを作る.

前半で難しいのは以下の点である.たとえ摂動を加えることでホモクリニック接触が形成できたとしても,一般にはこの摂動により,作られたホモクリニック接触がもとのホモクリニック類の外部に出てしまう可能性がある.このような事態が起こらないことを保障するため,(不)安定多様体をなるべく動かさないよう注意深く摂動を行わなければならない.

後半では,摂動により形成されたホモクリニック接触を直接調べるのではなく,いくつかの摂動を与えることにより,本質的にはアフィン力学系を調べることに帰着させ,その分岐を調べる.

次に定理2 の証明について述べる.定理で主張されているようなホモクリニック類の例を作るためには,次の二点を保障する必要がある.一つはそのホモクリニック類が優越分解を許容しないこと,もう一つはそのホモクリニック類が指数1 の周期点を含まないことである.

前者については,従来どおりのテクニックを用いる.すなわち,微分が複素固有値をもつような異次元へテロクリニックサイクルを利用する.後者の条件を保障するために,このホモクリニック類の周辺では任意の点の接空間のある2 次元部分空間が,微分写像によりその体積が十分に拡大されるようにしておく.すると,任意の点の接空間の任意の3 次元部分空間は体積拡大的となり,このホモクリニック類に属する周期点が指数1を持たないことが分かる.さらに,ホモクリニック類の爆発(摂動により急激に大きくなること)が起きないことを保障するために,このホモクリニック類の周囲の大域的なふるまいを制限しておくことで,上に述べた性質がC1 微小摂動で保たれることが分かり,所望の例が完成する.

審査要旨 要旨を表示する

論文提出者篠原克寿は、本論文において3次元閉リーマン多様体上のC1級微分同相写像の野性的ホモクリニック類の指数問題に関して、新しい generic property を証明し、さらに4次元閉リーマン多様体上では3次元の結果と反対の方向の例を与えた。

ホモクリニック類は位相推移性を持つコンパクト不変集合であり generic には鎖回帰類と一致することにより、多様体上の大域的なダイナミクスを理解するための基本単位である。したがって、generic な観点からホモクリニック類を調べることは、微分同相写像の空間を大域的に理解することにつながる。双曲型微分同相写像の場合には、鎖回帰集合は双曲型分解を持ち、有限個の双曲型ホモクリニック類に分解され、 Markov 分割を許容するため、そのダイナミクスは理解可能である。ホモクリニック類が双曲型分解を弱めた優越分解を持つ場合にも双曲型に準ずる性質を持ち、ある程度の理解が可能である。一方で、ホモクリニック類がいかなるタイプの優越分解も持たない場合は扱いが困難であるが、さらにgeneric な観点からは、微分同相写像の微小摂動も含めていかなるタイプの優越分解も持たないホモクリニック類を理解する必要がある。そのようなホモクリニック類は野性的ホモクリニック類と呼ばれる。

本論文では、野性的ホモクリニック類についての指数問題を扱い、3次元の場合は、ある条件下 (体積拡大双曲型周期点と体積縮小双曲型周期点を含むとき) において、指数集合が (可能な指数はすべて現れるという意味で) 完全であることを証明した。ここで、指数集合とはそのホモクリニック類に属する双曲型周期点の不安定多様体の次元の集合である。指数問題については、 2007年にAbdenur, Bonnati, Crovisier, Diaz, Wen の共著論文において、「generic にはすべての鎖回帰集合の指数集合は (自然数の集合における) 区間になるか?」という問題を提出している。ホモクリニック類は鎖回帰集合であるため、上記の結果はこの問題の部分的な解決と考えることも出来る。さらに、その証明にいたる途中の結果として、ある微分同相写像が指数1の体積拡大双曲型周期点を含む野性的ホモクリニック類を持つとき、その微分同相写像は、いかなる微小摂動によっても異次元へテロクリニック・サイクルが存在するような微分同相写像で近似できるという結果を用いる。この結果自体も、非双曲性と異次元へテロクリニック・サイクルを関連させるBonatti と Diaz による最近の予想を支持する結果になっている。このように、特別な場合のある条件下における結果ではあるが、扱い困難な対象に対して、指数問題をあるアフィン力学系に対して異次元へテロクリニック・サイクルを微小摂動によりつくることに帰着させた本論文の議論は、この分野における高度な理解を必要とし、定理の主張を生み出した問題意識も含めて、価値あるものである。

4次元の結果については、本論文の Appendix に書かれているが、次に述べる理由により高い評価を与えられる。ホモクリニック類がいかなるタイプの優越分解も持たないということは、いかなる方向にも微分の縮小拡大に関する強弱が一様には存在しないため、その縮小拡大をうまく配合することにより、指定された指数を持つ双曲型周期点を微小摂動によりつくることができると考えるのは自然な考え方である。実際に、上記3次元の結果はその考え方による結果である。それに対し4次元で構成した例は、いかなるタイプの優越分解を持たないにもかかわらず、指数1を持つ双曲型周期点が微小摂動も含めて生じない例になっているため、この考え方に反する結果である。その手法は、指数3の周期点と指数2の周期点の間の異次元へテロクリニック・サイクルを次のような環境でつくることで、この2つの周期点を含む鎖回帰類をつくり、それが generic にはホモクリニック類と一致するというものである。その環境とは、指数3の周期点の中心方向と指数2の周期点の拡大方向と縮小方向に(実数でない)複素固有値を持たせることで優越分解の存在を排除し、その一方で微分が各点における接空間のすべての3次元体積を拡大するようにとることで指数1の周期点の存在を排除するというものである。このように比較的シンプルなアイデアでありながら、構成された例は専門家の予想に反するものになっているという点で、意外性を含む興味深い結果である。

非双曲型力学系の大域的理解を目指し、その基本単位であるホモクリニック類の指数問題において新たな知見を与えた本論文の意義は大きく、論文提出者篠原克寿は、博士(数理科学)の学位を受けるにふさわしい充分な資格があるものと認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51750