学位論文要旨



No 127185
著者(漢字) 川本,敦史
著者(英字)
著者(カナ) カワモト,アツシ
標題(和) 逆問題に対するカーレマン評価による条件付き安定性 : ディラック方程式に対する係数逆問題,熱方程式による部分境界の決定およびオイラー方程式に対する解の接続
標題(洋) Conditional stability by Carleman estimates for inverse problems : coefficient inverse problems for the Dirac equation, the determination of subboundary by the heat equation and the continuation of solution of the Euler equation
報告番号 127185
報告番号 甲27185
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(数理科学)
学位記番号 博数理第366号
研究科 数理科学研究科
専攻 数理科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山本,昌宏
 東京大学 教授 片岡,清臣
 東京大学 教授 俣野,博
 東京大学 教授 儀我,美一
 東京大学 教授 舟木,直久
内容要旨 要旨を表示する

本論文において,偏微分方程式に関する逆問題について研究を行った.ディラック方程式に対する係数決定の逆問題,熱方程式に対する境界決定の逆問題,さらに,線形化されたオイラー方程式に対する一意接続性について考察し,それぞれに対して安定性評価を得た.各証明は,偏微分方程式の解に対する重み関数付きのL2の評価であるカーレマン評価に基づく.

第一章

第一章では,ディラック方程式における係数である電磁ポテンシャルを決定する逆問題を考え,双曲型方程式に対するカーレマン評価を用いて安定性評価を確立した.

Ωを有界領域,Tを正定数とするとき,スピノルu(t; x)=(u1(t; x); u2(t; x); u3(t; x); u4(t; x)), (t; x) ∈(-T; T)×Ωに対する次のディラック方程式を考えた:

ここで,iは虚数単位,kはディラック行列(定数行列),A(x)=(A0(x);A(x))は電磁ポテンシャル(A(x)=(A1(x);A2(x);A3(x))はベクトルポテンシャル),eは電荷(定数),m0は粒子の質量(定数),∂k=∂/∂xkとする.

係数を決定する際の観測するuの場所としては,領域Ωの境界@Ωの場合と適当な部分領域! ⊂ Ωの場合を考えた.以下,二つの場合についてそれぞれ逆問題を定式化し結果について述べる.

境界観測

ディラック方程式,初期条件,ディリクレ境界条件が与えられているときノイマン境界データから電磁ポテンシャルを決定する逆問題を考える.

uj がj=1; 2に対して次の方程式系を満たすとする:

また,電磁ポテンシャルBに対してvj が同様の方程式系を満たすとする.

このとき,T,uj,vj,A,B,gjに対する適当な条件の下で,二回の観測を行うことで次の安定性評価が成り立つことを示した(定理1.2.1):

ここでC > 0は定数である.

さらに,A0=B0 in Ωを仮定し,ベクトルポテンシャルのみをノイマン境界データから決定する逆問題においては,T,uj,vj,A,B,gjに対する適当な条件の下で,一回だけの観測を行うことで次の安定性評価が成り立つ(定理1.2.2):

ここでC > 0は定数で,∂νu=(∂νu1; ∂νu2; ∂νu3; ∂νu4)とする.

内部観測

ディラック方程式,初期条件,ディリクレ境界条件,ノイマン境界条件が与えられているとき適当な条件を満たす部分領域 ω⊂ Ωを固定して,部分領域におけるu から電磁ポテンシャルを決定する逆問題を考える.

uj がj=1; 2に対して次の方程式系を満たすとする:

また,電磁ポテンシャルBに対してvj が同様の方程式系を満たすとする.

このとき,境界観測とは異なる観測時間Tとuj,vj,A,B,gj , ωに対する適当な条件の下で,二回の観測を行うことで次の安定性評価が成り立つことを示した(定理1.2.3):

ここでC > 0は定数である.

また,A0=B0 in Ωを仮定し,ベクトルポテンシャルのみを決定する逆問題ではTとuj,vj,A,B,gj , ωに対する適当な条件の下で,一回だけの観測を行うことで次の安定性評価が成り立つ(定理1.2.4):

ここでC > 0は定数である.

さらに,Ak=Bk inω(k=1; 2; 3)となるときには,Tとuj,vj,A,B,gj ,ωに対する適当な条件の下で,uの二成分のみからベクトルポテンシャルを決定することができる:

ここでC > 0,θ∈ (0; 1)は定数である.

第二章

第二章では,熱方程式に対する境界決定の逆問題について考え,安定性評価を確立した.ある物体が腐食などにより物体の境界の一部が破壊された場合を考える.この破壊された境界の一部を直接観測することが難しい状況下において,非定常熱伝導方程式を用いて,破壊された境界の一部とは異なる観測可能な境界の一部から破壊された境界の形状を調べる逆問題を考えた.具体的には,位置x,時刻tにおける温度uj(x; t) が次の方程式系を満たすとする.

ここで,j=0のときは破壊される前の方程式を,j=1のときは破壊された後の方程式を表すとする.またγjは,領域の破壊を受ける境界の一部とする.0 < a < c < d < b < 1とする.ここで,破壊される前の領域をΩ0={(x; y); 0 < y < 1; - 4√(1=16 -(y-1=2))4 < x < 1 + 4√(1=16-(y-1=2))4}とし,このとき観測された熱流束をh0=(∂u0/∂ν)|Γ(0,T)とする.ただしΓ ={(x; 0); a < x < b}.また,破壊された後の領域をΩ1=Ω0 /{(x; y); 0 ≦ x≦ 1; F(x) ≦y ≦1}とし,このとき観測された熱流束をh=∂u1/∂ν|Γ(0,T)とするここで,破壊された境界の形状を表す関数Fとg0に適切な条件を課すことによって次の安定性評価を得た.ある定数k ∈ (0; 1)とC > 0 があって,次が成り立つ(定理2.3.1):

ただし,

ここで, ∥F ー1∥L2(c,d)は破壊前後における境界の形状の差を表し,εは観測値の差を表す.

第三章

第三章では,線形化されたオイラー方程式に対する一意接続性における安定性評価を確立した.

具体的には,次の線形化されたオイラー方程式を考える.ΩをR3の有界領域とし,その境界∂Ωは十分滑らかであるとする.Γを∂Ωに含まれる開集合とする.Q=Ω×(0; T)とおく.a :Ω×[-T; T] → R3をC2 級の関数とする.

まず,オイラー方程式にrotを施し,渦度の方程式に対してカーレマン評価(定理3.2.1)を求め,そのカーレマン評価を用い(0.0.1)に対してのカーレマン評価(定理3.2.2)を得た.次に,(0.0.1)に対するカーレマン評価を用いて,

を満たすv ∈ H2(Q)に対して,適切な仮定の下に次の一意接続性における安定性を証明した(定理3.2.3):ある定数C;k ∈ (0; 1) が存在して,

ただし,F=∥f∥fL2(0,T :H2(Ω))g3+∥p∥H2(Q)+∥g0∥fH5/2 (Γ×(0,T))g3+∥g1∥fH3/2 (Γ×(0,T))g3 ,M=∥∂tv∥fL2(Q)g3+∥v∥fL2(0,T :H2(Ω))g3 . また,ここで,Qεはカーレマン評価を求める際に用いた関数 wによる領域でQε ={(x; t) ∈ Q|w(x; t) >ε }である.

審査要旨 要旨を表示する

川本敦史氏は、本論文において偏微分方程式に関する3つのタイプの逆問題について一意性ならびに条件付き安定性をカーレマン評価を用いて確立した。逆問題とは、偏微分方程式の係数や方程式が成り立つ空間領域の形状が未知である場合にそれらを限定されたデータによって決定したり、方程式の解を境界上の解のデータから決定する問題であり、川本氏はここで係数決定逆問題、形状決定逆問題ならびに解の一意接続性という3つの代表的な逆問題を考察した。逆問題はさまざまな応用上の観点からも重要であるので、夥しい種類の逆問題があるが、それらは概ねここで考察した3 タイプの逆問題のどれかに該当しており、本論文の各部は一般の逆問題の数学解析を行う際の方法論の1つのひな形を与えている。

また逆問題における安定性は係数、境界形状または解自体を与えられたデータで決定する際、データに含まれる誤差が小さければそれが逆問題で求めたい量の決定に及ぼす影響も小さいということを意味しており、逆問題の数値解析手法において数値解の真の解への収束のスピードなどを記述する場合などに本質的な課題であるが、適切な有界性を仮定しないと安定性が全く成立しない。一方で適切な有界性のもとで成立する安定性を条件付き安定性とよぶが、そのような有界性は物理的にも受け入れることができるようなものでなくてはならず、先行研究が十分とはいえない状況である。そのような研究の状況のなかで、川本氏はカーレマン評価を適用して、上記の代表的な逆問題の3つに関して一意性ならびに条件付き安定性を確立した。ここで、カーレマン評価とは、偏微分方程式の解に関するL2 -評価式である。

これらの成果は新規性のあるものであるだけでなく、そこでの方法は他の逆問題にも広く適用できることが強く期待できる。したがって川本氏の学位申請論文は高く評価できるものである。

本論文において、次のような係数決定逆問題、境界形状決定逆問題ならびに一意接続性における一意性ならびに条件付き安定性を考察している:

・ディラック方程式に対する係数決定逆問題

・非定常熱方程式を用いた境界形状決定の逆問題

・線形化されたオイラー方程式に対する一意接続性

以下、章ごとに論文審査の結果を述べる。

第1章において、空間次元が3のディラック方程式を考えて、電磁ポテンシャルに対応する係数を境界または境界近くの部分領域でのデータによって決定する逆問題を考えており、特に複数の未知係数を一意的に決定するための最少回数の観測について論じている。ディラック方程式のように微分の階数が最高階の主要項が分離していない連立偏微分方程式系に対して、カーレマン評価を導くことは困難であるが、余因子に相当する偏微分作用素を作用させて波動方程式に変換して基礎となるカーレマン評価を導き、逆問題に関してリプシッツ型の条件付き安定性を導いたことは注目すべき技法である。

第2章においては、例えば、視えない部分が腐食などで欠損してしまったような場合に、材料の欠損部分の形状を非定常熱方程式を用いて決定する逆問題に対する条件付きの安定性を確立している。数学上からだけではなく、実際上の観点からも理解しやすい明確な結果を導いたことは、評価できる。

第3章においては、空間3 次元の線形化されたオイラー方程式の解の一意接続性と接続の際の条件付き安定性を確立している。取り扱っている方程式は流体の基礎方程式の1つであり、境界での観測データによって領域内部の速度場を決定する場合の一意性を確立し、さらに適当なノルムを採用するとしてデータによって内部の変位を評価することに成功している。

論文提出者が、以上述べたように3つの代表的なタイプの逆問題それぞれに関して、さまざまな技術的な工夫を行って、逆問題の数学解析の基本課題である一意性ならびに条件付き安定性を確立していることは高く評価すべきである。しかも扱っている逆問題が数理物理や工学などの関連応用分野で重要な問題であり、そのための数学的な基礎付けを本論文は与えており、一層の関連研究の進展を促すことが大いに期待できる。

よって、論文提出者 川本敦史は博士(数理科学)の学位を受けるにふさわしい充分な資格があると認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51802