学位論文要旨



No 127739
著者(漢字) 中島,哲也
著者(英字)
著者(カナ) ナカジマ,テツヤ
標題(和) レプリカ対称性の破れと自由エネルギー地形の関係に関する理論的研究
標題(洋)
報告番号 127739
報告番号 甲27739
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1152号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 福島,孝治
 東京大学 教授 金子,邦彦
 東京大学 教授 國場,敦夫
 東京大学 教授 佐々,真一
 東京大学 教授 氷上,忍
内容要旨 要旨を表示する

本博士論文は, 平衡状態のスピングラス理論の観点から, 自由エネルギー地形とレプリカ対称性の破れに関する考察を行ったものである. スピングラスとはランダムな磁性体の一種である. 相互作用に含まれるランダムネスが, 対象の複雑な性質を生み出している.またその複雑さの原因として, 自由エネルギー地形の複雑さが提案されている. そしてその自由エネルギー地形の複雑さは, 平衡状態に関する知見のみならず, 動力学やアルゴリズムに対するそれも与えてきた. その結果, ガラスや制約充足問題といった周辺領域に対して概念および具体的解析手法を提供している.

スピングラス理論では従来から, この自由エネルギー地形を理解するための鍵として,レプリカ対称性の破れという概念/手法を用いてきた. これは, 統計物理において従来から重要な役割を果たしてきた「対称性とその破れ」という枠組みで, 自由エネルギー地形の変化をとらえたものだと解釈されている. またレプリカ対称性の破れは, 元々, レプリカ法と呼ばれる解析手法を通じて発見され, 導入されたものである. しかし通常の対称性の破れと異なり, 概念としてのレプリカ対称性の破れと手法としてのレプリカ対称性の破れはしばしば混同され, 解決しがたい問題が未だ残っている.

そこで本論文では, この自由エネルギー地形に関する一般理論を, スピングラス理論の立場から模索することを試みた. ガラスや制約充足問題など, 周辺領域との関連性を意識しながら議論する. 特に, 疎結合模型と呼ばれる, ある種のランダムグラフ上で定義された模型に関する研究を行った. この疎結合模型は近年注目されており, キャビティ法という手法による解析が多く行われている. しかしキャビティ法は, あくまでこのような疎な模型にしか適用できない手法であるため, より一般の模型, 例えば有限次元模型などへの拡張を考えるうえでは不十分である. そこで本論文では, キャビティ法の解析を参照しながら, 疎結合模型におけるレプリカ法による解析を行った.

その結果として, 本文中の各章に述べるいくつかの結論が得られた. 以下に主な内容を章ごとにまとめる.

第1 章 導入

スピングラス理論を中心として, その周縁にあるガラスや制約充足問題について紹介する. 特に, 従来スピングラス理論で議論されてきた自由エネルギー地形とレプリカ対称性の関係について簡単に整理する.

第2 章 レプリカ法とキャビティ法

本章では, 以下の各章で必要となる概念および手法を導入する. レプリカ法とキャビティ法について, その手続きのみならず, 理論的仮定について丁寧に議論する. 特に, レプリカ法の正当性, レプリカ対称キャビティ法と点集合相関との関連について述べ, 1RSBキャビティ法について簡単に説明する.

また1RSB キャビティ法がよって立つ作業仮説に関する数値的検証として行った数え上げの数値計算の結果を示し, 1RSB キャビティ法という, レプリカ対称な解析の一歩先をいく試みの問題点について議論する.

第3 章 コンプレキシティの多段階RSB 模型への拡張

自由エネルギー地形の構造を反映した量として, コンプレキシティという物理量が注目されている. この量は通常, 一段階レプリカ対称性の破れという枠組みとの関連で議論されている. しかし一方で, 階層的レプリカ対称性の破れは自由エネルギー地形の階層性と対応し, 一段階に限らないレプリカ対称性の破れが起こりうる. そこで本章では, このコンプレキシティと階層的レプリカ対称性の破れの対応関係について議論する. そしてコンプレキシティを多段階レプリカ対称性の破れが起こっている場合に拡張する. これによって, 多段階レプリカ対称性の破れが起こることと, 純状態が階層的に配置することの対応が示される.

第4 章 緩和現象の解析

本章では, 多体相互作用模型における緩和現象の解析についてまとめる. 多体スピングラス模型の緩和現象は, 短時間での振る舞いと長時間でのそれに分けることができ, 短時間の振る舞いは相互作用によらないことを示す. また, モンテカルロ法により自己相関関数や感受率の測定も行い, ここでもやはり短時間の振る舞いが相互作用によらないことを示す. また, 従来のスピングラス理論で特徴に挙げられている「磁場中冷却とゼロ磁場冷却の差」に有意な差はなく, むしろ測定量の違いが従来の実験を説明することを示す. これは, コンプレキシティを用いた解析から部分的に予言されるものをより定量的に検証したことになっている.

第5 章 疎なランダムグラフでのモンテカルロアルゴリズム

多くの疎なランダムグラフは, 局所的に木構造を持つ. 本章では, この局所構造を積極的に活用したアルゴリズムについて述べる. 木の上ではBelief Propagation が厳密になることを用いることで, グラフの周辺化を行う. この周辺化されたグラフ上でのマルコフ連鎖を書き下すことで, 一種のクラスターアルゴリズムを構成することが可能である. 本章では, 疎なランダムグラフ上のモンテカルロ法について議論する. 提案法による周辺化を行うことにより, シングルスピン更新のアルゴリズムより10 倍程度性能が上がることを示す.

第6 章 k-SAT の基底状態エントロピーの解析

k-SAT は, 計算機科学における重要な問題である. 本章では, この解空間の構造を調べるため, レプリカ法によって基底状態エントロピーを解析する. 結果として, SAT 解の空間が分割することを示す. また, Guerra の不等式と呼ばれる, レプリカ法の結果の変分的解釈についても簡単に触れ, 厳密化のために必要な点についても議論する. この議論は, レプリカ法の概念的側面と, 手法的側面を分離する試みと理解することができる. すなわち,「解空間の構造= 絶対零度での純状態のありよう」を, レプリカ対称性の破れを導入することなく議論している.

最後に第7 章では, 全体の総括を与えている.

審査要旨 要旨を表示する

ランダム磁性体であるスピングラスの統計力学的研究は平均場理論を中心に発展してきた.その過程においてレプリカ法と呼ばれる解析手法からレプリカ対称性の破れの概念が生まれ,それを用いて複雑な自由エネルギー地形は特徴付けられることが明らかになってきた.近年では自由エネルギー地形の観点は,構造ガラスのガラス転移描像や制約充足問題の解空間の解析など関連する分野へ新しい視点を与えている.自由エネルギー地形の考え方は様々な問題に対して直感的な考察を可能にするために有用であるが,個々の問題において解析手法としてのレプリカ法やレプリカ対称性の破れが自由エネルギー地形の理解にどの程度本質的な役割を果たしているかは明らかではない.この関係を深く考察することが,本論文全体を貫く主なテーマである.

本論文は七章と付録からなり,第一章と第二章ではスピングラス研究や関連分野を概観し,本論文の問題意識を明確にしている.第三章では,コンプレキシティと呼ばれる自由エネルギー地形を特徴づけるための物理量についての新しい拡張が議論されている.第四章では,このコンプレキシティが動的な緩和現象の中で観測できることを具体的な数値実験により示されている.第五章では,新しいモンテカルロ・アルゴリズム法の提案と検証について,第六章では制約充足問題の解空間の構造の研究がそれぞれ述べられている.最後に,第七章で本論文のまとめがなされている.付録にはレプリカ法やキャビティ法の理論計算の技術的な点が丁寧に示されている.以下で,各章の内容をより詳しくみていくことにする.

まず,第一章で概論を述べた後,第二章において本論文で主に議論する疎結合模型に対する解析手法であるレプリカ法とキャビティ法について説明される.両者の対応関係は部分的には確認できるものの,レプリカ対称性の破れの取扱いはそれぞれが別々の発展をしており,必ずしも整合性がとれているわけではない.その中で,研究が盛んなキャビティ法の発展形には仮定されている前提条件が必ずしも保証されないことを,この章の数値実験の結果から示し,レプリカ理論の進展の重要性を指摘している.

第三章では,自由エネルギー地形を特徴づける量としてのコンプレキシティに注目する.これは純状態の個数から決まるエントロピー量とみなすことができる.先行研究では1段階レプリカ対称性の破れに基づく計算手法がレプリカ法の枠組みで提案され,関連する分野で標準手法として適用されている.しかし,この理論的な枠組みは対象となる物理モデルの性質とは独立に与えられているために,モデルが多段階レプリカ対称性の破れを示すときにその計算手法の妥当性は不明である.そこで,中島氏はこれまでの手法を内包するように多段階レプリカ対称性の破れを計算手法の中に導入した.これにより,モデルが多段階レプリカ対称性の破れを示す際には,純状態の階層性に対応するコンプレキシティが導かれることが示された.また,具体的に多段階レプリカ対称性の破れを示す平均場スピングラス模型の計算により,これまでの結果が補正されることと先行研究において解釈が曖昧であった点に自然な理解を与えることに成功した.

第四章では多体相互作用するスピングラス模型の緩和現象について議論されている.自由エネルギー地形が複雑になると,緩和現象は非常に遅くなることが予想され,多くの系においてその関連性が議論されている.近年,ガラス的挙動を示す系の除冷過程における到達可能な最低エネルギーには平衡状態エネルギーよりも有意に高い到達限界値が存在することが示唆され,その値は先に議論されたコンプレキシティが与えるとする解釈が提案されている.また,本論文でのレプリカ法の解析から,コンプレキシティは模型に含まれるランダムネスを表す変数に依存しないことが示されている.これらのことから,除冷過程での到達エネルギーはランダムネスに依存しないことが予想される.実際に数値計算により,除冷過程で得られるエネルギーがコンプレキシティからの予想値と一致することを確認している.さらにそこに至る初期緩和においても模型によらない,つまり強磁性模型でもスピングラス模型でも,同じ緩和現象を示すことが明らかにされた.これらの事実は動力学の立場から示されるべき性質ではあるが,平衡状態の知見から部分的に示唆できる点は興味深い.

第五章では,新しいモンテカルロ・アルゴリズムの模索を行っている.複雑な自由エネルギー地形を示す問題では,低エネルギーの探索が一般に困難になる.ここでは疎結合グラフ上の統計力学模型に対して,キャビティ法の考え方を部分的に取り入れたモンテカルロ法を構築し,緩和時間を従来法よりも1/10程度に小さくできることを示している.必ずしも質的に改善をもたらす方法には至らないものの,系の特徴を少しでも取り込むことにより自由エネルギー地形の探索能力が向上しうる例として注目に値する.

第六章では,制約充足問題であるK-SAT問題の解空間構造をレプリカ法により解析している.この問題は制約条件を増やすとき,解空間は分割し,複雑な自由エネルギー地形が実現されると考えられている.この章ではあえてレプリカ対称性の破れを用いず,レプリカ対称な手法のままで解空間の分割現象を導いた.この試みはレプリカ対称性の破れと自由エネルギー地形の複雑化は必ずしも同一視されるものではないことを表している.

以上のように,各章は個別の課題についての取り組みがまとめられ,必ずしも直接的な関連性は高いものではないが,全体として自由エネルギー地形の複雑さとレプリカ対称性の破れの関係性を探ることを目標とし,その上でアルゴリズムや動力学への知見を得ることを目指してきた.一般化されたコンプレキシティの導入や動力学への定量的な予言の検証はスピングラス理論の進展に重要な寄与をしており,より困難な問題である有限次元系へのレプリカ理論の展開のためにも意義があるものと認められる.

なお,本論文の内容の一部は,福島孝治氏との共同研究であるが,論文提出者が主体になって解析を行ったものであると判断される.したがって,本論文は博士(学術)の学位を授与するにふさわしい内容であると本審査委員会は全員一致で判定した.

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