学位論文要旨



No 128387
著者(漢字) 馬,昭平
著者(英字)
著者(カナ) マア,ショウヘイ
標題(和) 対合付きK3曲面のモジュライの有理性
標題(洋) Rationality of the moduli spaces of 2-elementary K3 surfaces
報告番号 128387
報告番号 甲28387
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(数理科学)
学位記番号 博数理第395号
研究科 数理科学研究科
専攻 数理科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮岡,洋一
 東京大学 教授 川又,雄二郎
 東京大学 教授 石井,志保子
 東京大学 教授 寺杣,友秀
 東京大学 准教授 高木,寛通
内容要旨 要旨を表示する

複素K3 曲面X とその上の周期に非自明に作用する対合ι の組(X, ι) を2-elementary K3 曲面と呼ぶ。Nikulin の分類によってそのような組は位相的には75種類あることが知られており、各位相型は適当な自然数の三つ組(r, a, δ) によってラベルづけられる。位相型(r, a, δ) を一つ固定すればそれに属する2-elementary K3 曲面たちの同型類はある代数多様体Mr,a,δ(モジュライ空間)によって自然にパラメトライズされる。周期写像の理論により、Mr,a,δ は適当なIV 型対称領域の算術商から因子を除いた補集合として構成することができる。本論文の主題はこのモジュライ多様体Mr,a,δ の双有理型を調べることである。具体的には次の結果を証明する。

定理0.1. 以下の8つの(r, a, δ) を除きモジュライ空間Mr,a,δ は有理的、すなわち射影空間と双有理同値である:(1, 1, 1), (2, 2, 0), (10, 10, 1), (r, 22 - r, 1), 11 ≦ r ≦ 15。

こうしてほとんどのMr,a,δ は双有理変換を除けば最も単純な代数多様体であることがわかった。別の言葉で言い換えれば、それらの算術商Mr,a,δ に対する保型函数体はC 上純超越的である

いくつかのMr,a,δ は従来有理的であると知られていた。M10,10,0 とM10,2,0は金銅によって有理性が証明され、M5,5,1 はShepherd-Barron の研究によって実質的に有理性が示されていた。M10,10,0 は特にEnriques 曲面のモジュライであり、M5,5,1 は種数6の曲線のモジュライと自然に双有理同値である。本研究はそれらの研究をモデルとしており、それらの先行結果が実はより一般的な現象の中に位置づけられることを示している。残りの8つのMr,a,δ が有理的か否かはまだ明らかではない。有理性より少し弱い性質だが、それらが単有理的であることはわかっている。

さて、何かあるモジュライ空間Mが有理的であることを証明しようとする時には、代数群の作用の問題(広い意味での不変式論)に持ち込むことが一つの標準的手法である。具体的には、(1) Mのメンバーの構成方法を考案することでパラメータ空間U を定義する。U には自然な変換群G が作用している。(2) 商多様体U/G からMへの自然な写像を調べる。もしも(1) で考案した構成法が標準的なものであったならばこれは双有理同型になる。(3)その時U へのG 作用を解析してU/G の有理性を示す、という手順を踏む。同型類をパラメトライズするMよりもG 作用の無駄を許して具体的な記述方法を与えるU の方から解析を始めるのである。もちろんU の構成はMのメンバーの個性に完全に依存しており、また(3) の解析はデリケートさを伴うことが多い。その結果、一般にモジュライの有理性問題というのは個別解析の傾向が強く、本研究も例外にもれない。1つ1つMr,a,δ の有理性を証明していくのである。とはいえほとんどのMr,a,δ に対して共通した構成のスキームを採るのでそれを以下説明しよう。

与えられた(r, a, δ) に対して、適当なHirzebruch 曲面もしくは射影平面Yの上のある種の決められたタイプの特異性と既約分解を持つ-2KY 曲線の族を考え、そのパラメータ空間をU とする。Y の自己同型群をG とする。各B ∈ U に対してB で分岐するY の2重被覆をとってその特異点を解消すればMr,a,δ のメンバーが得られる。(より正確には、(r, a, δ) にヒットするように予め特異性等を規定しておいた。)この構成によって周期写像P : U/G →Mr,a,δが定まるのだが、この写像は必ずしも双有理同型になるとは限らない。こうした構成法U は幾つも考えられるので、そこで、いろいろなU を試してみてその中からP が次数1になるものがあるか探し当てることをする。本論文の4.3 節ではこの種の周期写像の次数を系統的に計算するレシピを提示した。実際の証明は長くなるもののこのレシピに従えば次数計算は容易である。そうして実験の末P が次数1になるような(U,G) が見つかれば上で説明したようにG 作用の解析に帰着する。

この構成を少し角度を変えて説明しよう。(Y,B) というのはそれから作られる2-elementary K3 曲面の商曲面と分岐曲線をブローダウンしたものである。この時P の次数というのは与えられたタイプの(Y,B) たちにブローダウンするやり方が何通りあるかを数えており、それが1通りしかないようなタイプを探してMr,a,δ の研究に利用するのである。それが見つかれば、商と分岐そのものよりもそれを(1通りしかない)ブローダウンによって単純な曲面上の特異な曲線に転換した方が解析がしやすい。というのは、2つあったモジュライ要素が1つに統合されるし、よくわかっている群G の作用の問題に帰着するからである。

これが基本的な議論のスキームだが、次数1の周期写像が見つからずこの枠組みからはみ出す場合も幾つかある。その主要なものはr = a ≧3 とr + a = 20, r ≦ 14 の2系列である。前者はdel Pezzo 曲面の標準的な幾何を用いて解析される。後者の系列の研究が実の所本論文の到達点である。次数計算のレシピを応用して、del Pezzo 曲面の幾何がより意外な形で見出された。

最後に、筆者を育ててくれた指導教官の吉川謙一先生と宮岡洋一先生に深い感謝の意を表したい。修士課程の始めに吉川先生がK3 曲面という豊かな題材を紹介してくれたことが、筆者が数学の道を進む契機となった。本研究に取り組んだのも吉川先生の示唆に基づいている。吉川先生の転出に伴って、宮岡先生が博士課程の途中から指導教官を引き受けてくれ、筆者の成長を促しつつ様々な相談事に親身になってアドバイスをくれた。この2人の先生に出会えたことは誠に幸運なことであったと思う。

審査要旨 要旨を表示する

代数幾何学において,K3 曲面は楕円曲線とならび,もっとも興味をもたれてきた対象であり,そのモジュライ空間は,種々さまざまな立場から研究されている.もっとも標準的なアプローチは偏極付きK3 曲面のモジュライの研究であるが,適当な付加構造付きK3 曲面のモジュライ理論もおとらず重要であり,興味深い.

提出論文は,K3 曲面X とX の非シンプレクティックな対合ι の組(X, ι) (簡単のために対合つきK3 曲面と呼ぶ)のモジュライを考察し,75個の既約成分のうち,8個を除いた他のすべてが有理多様体であることを証明した(残った8個が有理多様体か否かは未解決問題である).言い換えれば,対合付きK3 曲面は本質的に,何個かの自由パラメータによって,無駄なくパラメトライズされるという結果である.対合付きK3 曲面のモジュライ空間の成分のうちいくつかについては,金銅誠之(Enriques曲面のモジュライ)やShepherd-Barron-Artebani-Kondo (後述のモジュライ成分M5,5,1) によって有理性が示されていた.本論文はこうした先行結果が例外的な現象ではないことを示した基本的かつ重要な結果であって,専門家による評価はきわめて高い.

以下に結果の概略を述べる.

対合付きK3 曲面(X, ι) の変形同値類は,Piatetski-Shapiro-ShafarevichによるTorelli 型定理によって,2次コホモロジー群のι 不変部分H2(X,Z)+の格子構造によって定まる.Nikulin の定理によるとこの格子構造は主不変量と呼ばれる3つの整数の組(r, a, δ) でパラメトライズされ,可能な主要不変量は75 種類ある.主要不変量(r, a, δ) をもつ対合付きK3 曲面のモジュライ空間をMr,a,δ と書くことにすると,本論文の主結果は次の定理である.

定理 (r, a, δ) が(1, 1, 1), (2, 2, 0), (10, 10, 1) のいずれでもなく,r+a =22 かつ11 ≦r ≦ 15 でもなければ,Mr,a,δ は有理多様体である,

この定理の証明は, もっとわかりやすい他のモジュライ空間との関連を見いだすことによって得られる.

その際に重要な役割を果たすのが,ベクトル空間を連結可解代数群やSL2(C) × C× × ・ ・ ・ × C× の線形作用で割ってできる商空間が有理多様体であるという,宮田の定理およびKatsyolo-Bogomolov の定理である.また代数多様体への群作用については,同変ファイバー空間構造が存在すれば,商空間の有理性問題は、しばしば底空間の商の有理性に帰着する.これらの定理や方法を用いれば,Mr,a,δ の有理性を示すには,すでに有理性がわかっている別のモジュライ空間の適当な群による商と双有理的であることを示せばよいであろう.

これが証明の一般的な方針であるが,実際には状況はかなり複雑であって,モジュライの既約成分の固有の構造によって事情が異なるため,完全に一般論で片付けることはできず,状況に応じて,多彩なテクニックが必要となる.関連するモジュライとして登場するものもきわめて多彩である.もっとも自然にあらわれるものは,射影X → X/ι の分岐曲線のモジュライで,たとえばM3,3,1 に関連しては2つの通常2重点をもった6次曲線のモジュライが現れる.しかしながら,分岐曲線のモジュライだけではうまくいかないことも多く,M5,5,1 については,5次Del Pezzo曲面のモジュライ,Mr,r-2,δ についてはHirzebruch 曲面F6-r 上のある種の曲線の線形系を考えている.

本論文で用いられる道具としては,通常の複素代数幾何のほかに,格子理論,言い換えれば二次形式論の深い結果が必要である.実際,格子理論(およびTorelli 型定理)の詳しい解析を通じてMr,a,δ と,曲線やDelPezzo 曲面のモジュライ空間との関連をつけることができるのである.

提出論文は,種々の技術的困難を克服して,ひとつの分野におけるほとんど決定的な成果を挙げたものとして,高く評価される.

本論文以外にも論文提出者には,すべて単著で,出版済の論文が4篇,掲載が決定している論文が2篇ある.そのうちProceedings of the LondonMathematical Society に出版予定の論文"The unirationality of the modulispaces of 2-elementary K3 surfaces" は,対合付きK3 曲面のモジュライ空間の連結成分が単有理的であることを示したもので,著者の第7論文である提出論文はその続編ないしは完結編と位置づけられる.それ以前の論文も,K3 曲面やアーベル曲面理論における顕著な業績であり,論文提出者はすでに有力な若手研究者として国際的に認知されている.

よって,論文提出者 馬昭平は,博士(数理科学)の学位を受けるにふさわしい十分な資格があると認める.

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