学位論文要旨



No 128807
著者(漢字) 田中,裕彬
著者(英字)
著者(カナ) タナカ,ヒロアキ
標題(和) CP3上のジャイアントマグノンとAdS/CFT対応
標題(洋) Giant magnons in CP3 and the AdS/CFT correspondence
報告番号 128807
報告番号 甲28807
学位授与日 2012.12.31
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5891号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 風間,洋一
 東京大学 教授 相原,博昭
 東京大学 教授 国場,敦夫
 東京大学 特任准教授 渡利,泰山
 東京大学 講師 和田,純夫
内容要旨 要旨を表示する

AdS/CFT 対応とは、d + 1 次元のanti de-Sitter(AdS) 空間を背景とした重力理論と、d 次元の共形場理論(CFT) 等価であるという予想である。特に次元を明記する場合は、AdS(d+1)/CFTd 対応のように書くことにする。この対応の大きな特徴は、強/弱結合対応である。片方の理論が摂動的に扱える(弱結合)とき、もう一方の理論は摂動論が有効でなくなってしまう。

この性質は応用面では非常に役に立つ。例えば、強結合の場の理論の解析は、弱結合の重力理論を調べることにより可能になる。逆に、量子補正が強く古典的に扱えないような重力理論を、場の理論で摂動的に取り扱うことができる。実際にQCD や物性理論への応用が前者の例として研究が行われ、後者の例としては量子重力理論への応用が行われている。

一方で、AdS/CFT 対応が本当に正しい双対性なのかどうかを検証するという課題が残されている。両者の理論の対応を調べることは、AdS/CFT対応が強/弱結合対応であることにより一般に難しい。

この困難を乗り越えるために、可積分性という性質を手がかりにしたAdS/CFT 対応の解析が近年盛んに研究されている。AdS5×S5 背景上のIIB 型超弦理論と4 次元N = 4 超Yang-Mills 理論には、可積分性という非常に高い対称性が出現することが知られている。この対称性に着目することで、厳密なスペクトラムを求め、比較することが可能になる。また、可積分性を持つAdS/CFT 対応の新たな例として、近年AdS4 ×CP3 背景上のIIA 型超弦理論と3 次元N = 6 超Chern-Simons 理論(ABJM 理論)の間の双対性が発見された。

まず、最も簡単なスペクトラムの比較は、BPS 状態に関するものである。BPS 状態とは、超対称性が一部破れずに残っているような状態であり、そのおかげで量子補正を受けないことが知られている。例えば、弦理論側ではCP3 内部空間の中を点状に潰れて回転しているような弦がそうである。ABJM 理論の側ではtr(Y 1Y +4 )J というトレース演算子がこれに対応する。両者のチャージを比べると、弦のエネルギーとトレース演算子の共形次元Δの一致、弦の角運動量J とトレース演算子のR チャージJ の一致が見て取れる。

BPS でない状態は、BPS から励起した状態と見ることができる。弦の解に対してはBPS 解からの励起を考えることができ、古典的にはソリトン解になっている。ABJM 理論の演算子ではBPS 演算子のY 1 のY 2 やY 3への置き換えや、Y +4 のY +2 やY +3 への置き換えが考えられる。特にABJM理論の演算子はスピン鎖系と同一視することができる。そのため、ABJM理論側ではこのような演算子の置き換えをマグノン(magnon) と呼ぶ。

これらのソリトンやマグノンは複数個あるときに、互いに相互作用をしている。弦の角運動量J とトレース演算子のR チャージJ は対応する物理量であるが、これを無限にとることによりソリトン/マグノンを漸近的に扱うことができる。この極限のもとで、弦の世界面の空間方向は無限大に拡がり、ABJM 理論の演算子も無限の長さを持つスピン鎖に相当する。

この博士論文では、可積分なAdS4/CFT3 の漸近領域における検証についての研究成果について取り上げている。AdS 側では、弦のBPS 解からの励起であるソリトン解(ダイオニック・ジャイアントマグノン解)の性質を漸近極限で調べた。具体的には、2 ソリトン解を実際に構成し、ソリトンどうしの散乱時の位相のずれを、ソリトン-反ソリトンの束縛状態が存在しないという仮定のもとで計算した。この仮定が実際に成り立つかどうかを示すのは難しいが、少なくともドレッシング法で作られる解の中にはそのような解が存在しないことを示した。

一方で、1 つ1 つのマグノンに対するS 行列の結合定数のオールループでの厳密な表式は、スピン鎖の持つ対称性等の仮定を置くことによりある程度予想することができる。我々は厳密なS 行列の仮定のもとで、複数のマグノンが形成する束縛状態に対し、散乱による位相のずれの計算を行なった。その結果、ダイオニック・ジャイアントマグノン解とマグノンの束縛状態において、散乱による位相のずれ(オールループのS 行列を仮定)は一致しないが、散乱によるずれと伝播による位相のずれを合わせたものが、ソリトン-反ソリトンの束縛状態の非存在の仮定のもとで一致することを見た。この検証はソリトン/マグノンの励起の方向について場合分けして行ったが、4 つの場合全てにおいて同様のことが言え、AdS/CFT対応を示唆する結果を得られた。

審査要旨 要旨を表示する

弦理論における近年の最も大きな発展は、異なる次元で定義されたゲージ理論と重力理論(閉弦理論) の間の驚くべき等価性の発見とその展開である。その典型的な例は、4 次元の超共形ヤン・ミルズ理論と10 次元のAdS(反ドジッター) 時空中の閉じた超弦の理論の対応であり、精密な証拠が次々と得られている。もうひとつの重要な例として、あるクラスの3次元共形場理論と弦理論の背後に存在する11 次元のM 理論の対応の予想がある。そして近年この共形場理論の正体が物質場と結合したChern-Simons 型のゲージ理論(ABJM 理論と呼ばれる) であることがわかってきたことを契機として、盛んに議論されるようになってきた。しかしながら、このゲージ理論は本質的に強結合理論であり、またM理論自体の11 次元超重力理論の古典論を超えた量子的定式化が確立されていないため、それらの対応の理解は上記の典型例の場合に比べて非常に困難であり不十分である。

この困難を緩和するひとつの方法は、11 次元のM理論が実質的に一次元分コンパクト化され、曲がった背景時空中の10 次元の弦理論で十分よく記述されるようになる適切な極限を考えることによって、問題を簡単化することである。実際この極限では、上記の典型例の解析で開発された方法を拡張することにより、理論のスペクトルの対応が検証されてきている。本学位論文は、こうした先行研究を踏まえながら、系の素励起の散乱の位相のずれという、スペクトル間の対応を超えたよりダイナミカルな物理量に着目し、高度な数理物理的手法を用いてその対応を検証するという新しい試みを行ったものである。

本論文は、本論5 章と技術的な補遺から構成されている。以下その概略を述べながら、本論文の審査の要旨を述べる。

第1章は序論であり、本研究の動機と意義、および背景となる事柄のコンパクトな記述がなされていると共に、本論文全体が概観されている。

第2章は、3 次元の超共形ゲージ理論(ABJM 理論) の基本的性質がまとめられている。理論の作用、そこに現れる基本的な場の演算子、および理論の持つ重要な対称性の説明の後、ゲージ不変な複合演算子の量子的な次元を決めるディラテーション演算子が、少なくとも摂動論の低次で、物性論で現れる可解なスピン鎖のハミルトニアンと数学的に同型になることがレビューされている。

このことから、ABJM 理論の性質を知るには、スピン鎖上で生ずるマグノンと呼ばれる素励起の物理を明らかにすることが重要になるが、第3章では、その方法に関する先行研究の結果が述べられ、最後にそれに基づいて、マグノンの束縛状態同士の散乱の位相のずれという新しい量が計算されている。このマグノンの励起は弦理論側では、弦の上で起こる古典的なソリトン波と同定されると思われる。しかしこうした弦理論側の古典的描像はABJM 理論側の強結合領域に対応するので、両者の比較には、ABJM 側での摂動の全次数での解析が必要になる。これを直接的に実行することはできないが、系が可解であることを仮定すると、超対称性や共形不変性の要請からマグノンの散乱行列の強結合領域でも通用する厳密な形が予想できる。論文提出者は、これを利用することにより、マグノンの束縛状態同士の散乱の位相のずれという新しい量の計算を行った。

第4章が本論文の要であり、前章の最後で導出した位相のずれに対応する量を弦理論側で計算し比較を行っている。マグノンの束縛状態に対応する弦理論側の古典解はダイオニック・ジャイアントマグノン(DGM) 解として知られていたが、論文提出者はまず、二つのDGM ソリトンの散乱を記述するような新しい2ソリトン解を構成することに成功した。これは1ソリトン解からドレッシングと呼ばれる可解モデルの手法で得られるが、これを有用な形で遂行したことは非自明な成果であり、後に他のグループがN ソリトン解を構成した際の基礎になった。この2 ソリトン解を用いると、若干の妥当な仮定のもとに、ソリトンの散乱によって生ずる位相のずれを計算することができる。そして、このずれとソリトンの伝播自体によって生ずる位相の変化とを併せた全位相変化という自然な物理量に対して、ABJM 理論で得られた結果と一致することを示した。この結果は相互作用を直接捉えるダイナミカルな量に対しても、対応が成立していることを強く示唆する新しい成果である。

第5章はまとめと将来の課題が述べられている。

以上のように、本論文は、ゲージ理論とM理論および弦理論の対応という、当該分野における現在の最重要課題に関して、従来研究されてきたスペクトル間の対応を超えたよりダイナミカルな物理量の比較を、高度な数理物理的な手法を駆使して新たに構成した弦理論の2体ソリトン解を用いて行ったものであり、博士学位論文にふさわしい内容を備えていると判断される。なお、本論文で得られている新しい結果は初田泰之氏との共同研究に基づくが、論文提出者が主体的に拘わり十分な寄与をしていることを確認した。よって審査員一同博士(理学) の学位を授与できると認める。

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