学位論文要旨



No 129486
著者(漢字) 石田,智彦
著者(英字)
著者(カナ) イシダ,トモヒコ
標題(和) 2次元円板の面積保存微分同相群上の擬準同型
標題(洋) Quasi-morphisms on the group of area-preserving diffeomorphisms of the 2-disk
報告番号 129486
報告番号 甲29486
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(数理科学)
学位記番号 博数理第401号
研究科 数理科学研究科
専攻 数理科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 坪井,俊
 東京大学 教授 河野,俊丈
 東京大学 教授 金井,雅彦
 東京大学 教授 古田,幹雄
 東京大学 准教授 河澄,響矢
内容要旨 要旨を表示する

Diff∞Ω(D2,∂D2)を,2次元円板D2の面積要素と向きを保存して,境界のある近傍で恒等写像になっているようなC∞級微分同相写像全体のなす群とする.本論文では,Diff∞Ω(D2,∂D2)上の擬準同型について調べた.

群G上の関数φ:G → R が擬準同型写像であるとは,G×G上で

φ(gh)-φ(g)-φ(h)

の値が一様に有界であることを言う.更に,擬準同型写像φ ∈ が任意のp ∈ Z とg ∈ G に対して

φ(gp)=pφ(g)

を満たすとき,φはhomogeneous であると言う.群G上のhomogeneous な擬準同型写像全体のなすベクトル空間をQ(G) と書く.homogeneous な擬準同型写像は群G 上の共役不変量であることが定義だけから確認できる.このことはQ(G) を調べる動機の1 つである.

Q(Diff∞Ω(D2,∂D2)) 上の擬準同型について,Gambaudo-Ghys によって次のことが知られている.

定理1 (Theorem 1.1.). ベクトル空間Q(Diff∞Ω (D2,∂D2)) は無限次元である.

定理1 を証明するにあたって, Gambaudo とGhys はDiffΩ (D2, ∂D2) 上の一次独立な擬準同型を加算個構成した.D2 のn 次のpure braid 群Pn(D2) 上の擬準同型からDiff∞Ω (D2,∂D2)上の擬準同型を作る彼らの構成を一般化して,準同型写像

Γn : Q(Pn(D2)) → Q(Diff∞Ω (D2, ∂D2))

が定義できる.

この写像Γn について調べた結果,より強い以下の定理を得た.

定理2 (Theorem 1.2.). 合成写像

Γn o Q(i) : Q(Bn(D2)) → Q(Pn(D2)) → Q(Diff∞Ω (D2, ∂D2))

は単射である.

ここでBn(D2) はD2 のn 次のbraid 群,Q(i) : Q(Bn(D2)) → Q(Pn(D2)) は自然な包含写像i : Pn(D2) → Bn(D2) の誘導する準同型写像(Q(Pn(D2)) への制限) である.

また,Γn : Q(Pn(D2)) → Q(Diff∞Ω (D2, ∂D2)) は,Q(Pn(D2)) 上のR への準同型写像をDiff∞Ω (D2, ∂D2) 上のR への準同型写像にうつすことも分かる.よって次の命題も従う.

命題3 (Proposition 3.3.). 合成写像Γn ○ Q(i) : Q(Bn(D2)) → Q(Diff∞Ω (D2, ∂D2)) から誘導される商ベクトル空間の準同型写像

Q(Bn(D2))/H1(Bn(D2);R) → Q(Diff∞Ω (D2, ∂D2))/H1(Diff∞Ω (D2, ∂D2);R)

は単射である.

また,準同型写像Γn : Q(Pn(D2)) → Q(Diff∞Ω (D2, ∂D2)) と同様に,球面S2 のpure braid群Pn(S2) と球面のC∞-級面積保存微分同相群の単位成分Diff∞Ω (S2)0 の間でも準同型写像

Γn:Q(Pn(S2)) → Q(Diff∞Ω(S2)0)

が構成でき, 定理2 と同様の定理が成立する.つまり,次の定理が成り立つ.

定理4 (Theorem 3.4.). 合成写像

Γn○Q(i):Q(Bn(S2))→Q(Pn(S2))→Q(Diff∞Ω (S2)0)

は単射である.

ここでBn(S2) はS2 のn 次のbraid 群,Q(i) : Q(Bn(S2)) → Q(Pn(S2)) は自然な包含写像i : Pn(S2) → Bn(S2) の誘導する準同型写像(Q(Pn(S2)) への制限) である.

さて,定理2 にあるように,合成写像Γn ○ Q(i) : Q(Bn(D2)) → Q(Diff∞Ω (D2, ∂D2))は単射だが,Γn : Q(Pn(D2)) → Q(Diff∞Ω (D2, ∂D2)) それ自体は単射では無い.そこで,Γn : Q(Pn(D2)) → Q(Diff∞Ω (D2, ∂D2)) の核を調べるために,群Gとその有限指数部分群H に対して,群のコホモロジーにおいて定義されるtransfer 写像

T:H*(H)→H(G)

の擬準同型への拡張

T:Q(H)→Q(G)

を定義した.擬準同型のtransfer写像も,群コホモロジーのtransfer写像と同様,

ToQ(i)=id:Q(G)→Q(G)

を満たす.ここで,Q(i):Q(G)→Q(H)は自然な包含写像i: H→Gの誘導する準同型写像(Q(H)への制限)である.G = Bn(D2), H=Pn(D2)としたとき,このtransfer写像について次が成り立つ.

命題5 (Proposition 4.6.). 合成写像

ΓnoQ(i)○T: Q(Pn(D2))→Q(Diff∞Ω(D2,∂D2))

はΓn と一致する. 特に, Ker(Γn)=Ker(T),Im(Γn)=Im(ΓnoQ(i))である.

G=Bn(S2), H=Pn(S2) についても,命題5と同様の主張が成り立つ.

また,完全群G上の擬準同型とG の元g の安定交換子長scl(g)について,次のBavard の双対定理と呼ばれる定理が知られている.

定理6 (Theorem 5.1.). 任意のg ∈ G に対して,

scl(g) = supφ∈Q(G)|φ(g)|/2D(φ)

が成り立つ.

そこで,Gambaudo-Ghys の構成から得られる擬準同型を利用して,Diff∞Ω (D2, ∂D2) の交換子群およびDiff∞Ω (S2)0 の一部の元について,安定交換子長の下限の計算例を作った.まず,D2 をR2 の部分集合

{(x, y) ∈ R2; x2 + y2 ≦ 1}

と同一視しておく.ω: [0, 1] → R をC∞-関数で,1 の近傍では0 であり,1 の近傍では定数関数であるようなものとする.各x ∈ D2 を0 の周りに角ω(|x|) だけ回転させる写像としてD2の面積保存微分同相写像Fω ∈ Diff∞Ω (D2, ∂D2) を定義する.a(r) をD2 の半径r 以下の部分の面積とするとき,次の命題が従う.

命題7(Proposition 5.3.). Fω ∈ Diff∞Ω (D2, ∂D2) がDiff∞Ω (D2, ∂D2) の交換子群に含まれるための必要十分条件は,

∫10ω(r)a(r)da(r)=0

であることである.

命題8 (Proposition 5.5.). Fω がDiff∞Ω (D2, ∂D2) の交換子群に含まれているとする. このとき,

scl(Fω) ≥ 3/4area(D2)|∫10ω(r)a(r)2da(r)|.

が成り立つ.特に,Diff∞Ω (D2, ∂D2) 上の安定交換子長は非有界である.

また,S2 をC∪{∞} と同一視し,ω:[0,∞] → Rを0の近傍とあるコンパクト集合の外では定数写像であるようなC∞-関数とする.各z∈S2を0の周りにω(|z|) だけ回転させる写像としてS2 の面積保存微分同相写像Fω ∈ Diff∞Ω (D2,∂D2) を定義する.a(r)をS2の半径r以下の部分の面積とするとき,次の命題が従う.

命題9 (Proposition 5.7.). 任意のFω∈Diff∞Ω(S2)0に対して,

scl(Fω) ≥ 1/area(S2)|∫∞0ω(r)a(r)(1 − a(r))(1 − 2a(r))da(r)|

が成り立つ.

Gambaudo-Ghysによって構成された擬準同型たちの他に,Diff∞Ω(D2,∂D2) 上の擬準同型として知られているものは,古典的なRuellの擬準同型Rの他,Entov-Polterovichによって非可算個構成された擬準同型の族{μ∈}(∈∈(1/2,1))がある.これらの擬準同型について,次の命題を得た.

命題10 (Proposition 6.5.). n ≧ 3 とする. V をQ(Bn(D2)) の一次独立な擬準同型から成る有限集合,I ⊂ ( 1/2 , 1) を有限部分集合とする.このとき,{Γn(φ)}(φ∈)V,{μ∈}(∈∈I), R は一次独立である.

審査要旨 要旨を表示する

群の同次擬準同型の空間の研究は、1991年のBavardの論文に始まっている。群G上の実数値関数φが同次擬準同型であるとは、φ(gh)-φ(g)-φ(h)が有界で、整数nに対しφ(gn)=ηφ(g)をみたすことで定義され、同次擬準同型は群上の類関数となる。Bavardによれば群の元の安定交換子長は、非自明な同次擬準同型の値をそのデフェクトで割ったもので下から評価される。様々な動機からブレイド群、写像類群、微分同相群など様々な群の同次擬準同型の空間が研究されてきた。

論文提出者石田智彦は、Gambaudo-Ghysの2004年の論文で提案された2次元円板の純ブレイド群Pn(D2)の同次擬準同型の空間Q(Pn(D2))から2次元円板の境界で恒等写像となる面積を保つ微分同相の群Diff∞Ω(D2,∂D2)の同次擬準同型の空間Q(Diff∞Ω(D2,∂D2))への準同型Γn:Q(Pn(D2))→Q(Diff∞Ω(D2,∂D2))について研究している。

論文の第3節において、まずGambaudo-Ghysの準同型の定義が意味のあるものであこのること(積分の収束)を示した。さらに純ブレイド群のブレイド群への埋め込みi:Pn(D2)→Bn(D2)により引き起こされる準同型Q(i):Q(Bn(D2))→Q(Pn(D2))との合成を考えると、Γn○Q(i):Q(Bn(D2))→Q(Diff∞Ω(D2,∂D2))が単射であることを示した。また、2次元球面のブレイド群Bn(S2)と2次元球面の面積を保つ微分同相の群Diff∞Ω(S2)0の同次擬準同型の空間の間の写像も定義され、単射となることを導いている。準同型瑞Γn:Q(Pn(D2))→Q(Diff∞Ω(D2,∂D2))の核については、第4節において、それを転入準同型写像を用いて明らかにしている。

第5節においては、Bavardの結果に基づき、Gambaudo-Ghysが導入した2次元円板、2次元球面の面積を保つ微分同相写像の安定交換子長を具体的に評価する式を導いている。

第6節においては、Γnの像にある擬準同型、Ruelleの擬準同型、Entov-Polterovichの擬準同型が、線形独立であることを示し、第7節においては、群Diff∞Ω(D2,∂D2)上のBrago-Entov-Polterovichのノルムについて議論し、fragmentationノルムが非有界であることを示している。

第8章では、Γnの像にある擬準同型Γn(φ)を群Diff∞Ω(D2,∂D2)上の擬準同型から、境界の近傍で回転であるような面積を保つ微分同相写像の群上の擬準同型に拡張している。

この中で特に、論文提出者の示した単射性は、無限次元であることが知られているQ(Bn(D2))あるいはQ(Bn(S2))よりもQ(Diff∞Ω(D2,∂D2))あるいはQ(Diff∞Ω(S2)0)が大きいというだけではなく、面積を保存する微分同相のダ

ナミックスを反映した不変量を定義し、Diff∞Ω(D2,∂D2)やQ(Diff∞Ω(S2)0)の群としての性質を調べる道具となる応用の広い結果である。

このように、論文提出者の結果は、群の同次擬準同型の空間、面積を保つ微分同相群の研究において重要な意味を持つものである。よって論文提出者石田智彦は、博士(数理科学)の学位を受けるにふさわしい充分な資格があると認める。

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