学位論文要旨



No 129488
著者(漢字) 植松,哲也
著者(英字)
著者(カナ) ウエマツ,テツヤ
標題(和) 対角的3次曲面のBrauer群の統一的な表示可能性について
標題(洋) Uniform Representability of the Brauer Group of Diagonal Cubic Surfaces
報告番号 129488
報告番号 甲29488
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(数理科学)
学位記番号 博数理第403号
研究科 数理科学研究科
専攻 数理科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮岡,洋一
 東京大学 教授 斎藤,毅
 東京大学 教授 寺杣,友秀
 東京大学 教授 辻,雄
 東京大学 准教授 志甫,淳
 東京工業大学 教授 齋藤,秀司
内容要旨 要旨を表示する

1動機と先行結果

体κ上の代数多様体Xに対するコホモロジカルBrauer群Br(X)は,A.Grothendieckにより導入された([Gro68a],[Gro68b],[Gro68c]).このBrauer群という不変量は,単有理かつ非有理な曲面の構成([AM72])など代数幾何学的な応用の他,代数体上の多様体に対するHasse原理の成立判定の重要な手段として知られるBrauer-Manin障害の構成([Man71])に用いられるなど,整数論への応用も知られている重要な研究対象である.

こういった諸分野への応用を試みるとき,

・Brauer群のアーベル群としての構造を知ること

と合わせて,重要となるのが,

・Brauer群の元を,扱いやすい形で書き下すことである.ここでの「扱いやすい形」は,問題設定により変わりうるが,ここでは,代数多様体の関数体κ(X)の元から定まるような,ノルム剰余記号による表示を考える.この表示について振り返っておく.一般に,nを正整数Kをその標数がnと互いに素な体とするとき,Kummer系列により,ノルム剰余写像

{・,・}n:K*⊗K*→H2(K,μ(⊗2)n)

が定まる.したがって,κを1の原始n乗根を含む体,Xをκ上の滑らかな代数多様体Xとすれば,上において,K=κ(X)とした場合に,同型μn≅Z/nZを通して,κ(X)*⊗κ(X)*からBr(κ(X))への写像が定まる.これにより,自然な埋め込みBr(X)→Br(κ(X))を通して,Br(X)の位数nの元をノルム剰余記号により表すことができるのであった.しかしながら,一般に,Br(κ(X))の元が,Br(X)由来であることを示すのは容易ではなく,また,Br(X)から来ていることが分かったとしても,そのノルム剰余記号による表示が分かるものでもない.

Yu.I.Maninは,対角的3次曲面と呼ばれる,特別な形の幾何学的有理曲面に対して,上記の問題を考察した([Man86]).以下,kは1の原始3乗根ζを含むような標数0の体とし,κ上の対角的3次曲面とは,κ-係数の斉次多項式

χ3+by3+cz3+dt3=0

で定義されるような滑らかな射影的曲面をさすものとする.

Maninの結果は次の通りである.

定理1.1.d∈κ*\(κ*)3とし,Vを

χ3+y3+z3+dt3=0

で定義されるk上の対角的3次曲面とする.このとき,以下が成り立つ:

(1)Br(V)/Br(k)≅Z/3Z⊕Z/3Z.

(2)次のノルム剰余記号

e1 = {d,x + ζy/x + y }3, e2 = {d,x + z/x + y}3 ∈ Br(k(V))

はBr(V)の元を定める.

(3)e1,e2のBr(V)/Br(κ)における像は,この群の生成元となる.

2本論文の主結果

Maninの結果においては,対角的3次曲面の定義方程式の係数が変化しうるのは1つのみであった.本論文は,これを一般化し,すべての対角的3次曲面に対し拡張することを試みたものである.

1つ目の結果として,まず,曲面が

V:χ3+y3+cz3+dt3=0,c,d∈κ*

の場合を考察し,次の結果を得た:

定理2.1(論文,Theorem5.1.1).κ,Vを上の通りとし,さらに,c,d,cd,c/d∉(κ*)3とする.このとき,以下が成り立っ:

(1)Br(V)/Br(κ) ≅Z/3Z.

(2)次のノルム剰余記号

e1 = {d/c,x + ζy/x + y }3 ∈ Br(k(V))

はBr(V)の元を定める.

(3)e1のBr(V)/Br(κ)における像は,この群の生成元となる.

群構造に関する結果(1)は本質的に,J.-L.Colliot-Thelene,D.Kanevsky,J.-J.Sansucの論文([CTKS87])において扱われている.

一般には,生成元が存在するとしても,その表示の形は,係数の取り方ごとに変わりうるが,定理2.1においては,生成元の形が,係数c,dに依存しない統一的な形で書き表せていることに注意する.換言すれば,c,dを変数とみて,ノルム剰余記号

e(c, d) = {d/c,x + ζy/x + y}3

を考えたとき,個々の曲面χ3+y3+coz3+dot3=0のBrauer群の生成元は,すべてe(c,d)のに(c0,d0)を「代入して」得られる,いわば,生成元の公式に当たるものが存在している,ということである.Maninの結果についても同様のことがいえる.

本論文の2つ目の結果は,曲面の定義方程式を一般のχ3+y3+cz3+dt3=0にした場合には,この統一的な意味での生成元が存在しないということを主張するものである.

b,c,dを不定元とし,VをF=k(b,c,d)の上の対角的3次曲面χ3+by3+cz3+dt3=0とする.P=(b0,c0,d0)∈((Gm)3(κ)に対し,Vpをκ上のχ3+b0y3+coz3+dot3=0で定義される対角的3次曲面とする.各e∈Br(V)に対し,適当な開集合U⊂(Gm)3が存在して,eのP∈U(κ)における特殊化

sp(e;P)∈Br(VP)

が定義される(論文,Subsection4.2.5).これは,先に述べた代入操作を定式化したものである.また,有理点の集合Pκを

Pk={P∈(Gm)3(k)|Br(VP)/Br(k)≅Z/3Z.}

により定義する.このとき,定理は次のように述べることができる.

定理2.2(論文,Corollary6.2.3).k,F,Vを上の通りとし,さらにdim(F3)k*/(k*)3≧2を仮定する.このとき,次の条件を満たすe∈Br(V)は存在しない:

開集合W⊂(Gm)3であって,sp(e;・)がW(κ)∩Pκ上定義され,かつ,すべてのP∈W(κ)∩Pκに対して,sp(e;P)がBr(Vp)/Br(k)の生成元を与えるようなものが存在する.

体κの条件dimF3κ*/(κ*)3≧2はPκ∈(Gm)3の稠密性を保証するためのものである(論文,Subsection6.2).

この結果は単純化して言えば,係数の動く範囲をどんなに狭めたとしても,その範囲の点を代入して得られるすべての曲面に対して,そのBrauer群の生成元を与えてくれるような,大本の統一的表示は存在しないということになる.これは,Maninの結果および,定理2.1の拡張には限界があることを示している点で重要である.

定理22は次の結果の帰結として得られる:

定理2.3(論文,Theorem6.1.3).κ,F,Vを上の通りとする.このとき,

Br(V)/Br(F)=0.

一般の幾何学的有理な代数多様体X/κに対し,Brauer群Br(X)/Br(κ)の構造の決定には,そこからGaloisコホモロジーH1(κ,Pic(X))への単射が存在し,さらに,Xにκ-有理点が存在する,あるいは体κのコホモロジー次元が2以下といった仮定のもとでは,それが同型になる,ということを用いるものが,主流である.しかしながら,定理2.3のV/FはH1(F,Pic(V))≠0であり,したがって,同型性に必要などちらの仮定も満たしていない.定理2.3は,定理2.2を帰結するための本質的命題というだけでなく,Brauer群の構造が従来の議論から容易に帰結されないようなクラスの多様体に対する,新規性のある計算例を提示しているという点でも重要である.

[AM72] M. Artin and D. Mumford, Some elementary examples of unirational varieties which are not rational, Proc. London Math. Soc. 25 (1972), no.3, 75-95.[CTKS87] J.-L. Colliot-Thelene, D. Kanevsky, and J.-J. Sansuc, Arithmetique des surfaces cubiques diagonales, Diophantine approximation and transcendence theory (Bonn, 1985), Lecture Notes in Math., vol. 1290, Springer, Berlin, 1987, pp. 1-108.[Gro68a] A. Grothendieck, Le groupe de Brauer I, Dix exposes sur la cohomologie des schemas, North-Holland, Amsterdam, 1968, pp. 46-65.[Gro68b] , Le groupe de Brauer II, Dix exposes sur la cohomologie des schemas, North-Holland, Amsterdam, 1968, pp. 66-87.[Gro68c] , Le groupe de Brauer III, Dix exposes sur la cohomologie des schemas, North-Holland, Amsterdam, 1968, pp. 88-188.[Man71] Yu. I. Manin, Le groupe de Brauer-Grothendieck en geometrie diophantienne, Actes de Congres international de Mathematiciens (Nice, 1970), vol. 1, GauthierVillars, Paris, 1971, pp. 401-411.[Man86] , Cubic forms: algebra, geometry, arithmetic, North-Holland Mathematical Library, vol. 4, North-Holland Publishing Co., Amsterdam, 1986, Translated from Russian by Hazewinkel, M.
審査要旨 要旨を表示する

整数論における重要な概念である体のBrauer群がガロワ・コホモロジー的記述をもつという事実に基づき,A. Grothendieckは体κ上定義された代数多様体VのBrauer群Br(V)をVの不変量H2(V,O×X)として定義した.この不変量の応用として,Artin-Mumfordによる非有理な単有理多様体の構成(1972)やVにおけるHasse原理成立判定などがあり,Brauer群は代数幾何学および数論において非常に重要な研究対象である.しかし一方でBrauer群の構造はきわめて複雑難解であって,非常に単純な多様体であっても,Br(V)について知られていることんど皆無というのが現状である.

提出論文では,κとして1の原始3乗根を含む標数0の体,V としてx3+by3+cz3=dという非斉次3次式で定義される「対角型3次曲面」を選び,Brauer群Br(V)について,その抽象アーベル群としての構造,および群の生成元の記述を考察し,対角型3次曲面のパラメータb, c, d ∈ kを自由に動かしたとき,Br(V)のパラメータ付き生成元は存在しない,という意外な結果を得た(後述の定理2).これは底空間Vの変形に対するBr(V)の挙動がきわめて複雑であることを立証するもので,非常に興味深い知見である.

以下に結果の概略を述べる.

パラメータb, c, d∈kをもつ対角型3次曲面Vの関数体κ(V)に付随する3次のノルム剰余記号を{ , }3 : k(V )* ⊗ k(V)* → H2(k(V), μ(⊗2)3)で表し,そのBr(κ(V))=H2(κ(V), κ(V))内の像も同じ記号で表すことにする.また自然な埋め込みによってBr(V)をBr(κ(V))の部分群とみなす.ζ∈kを1の原始3乗根とする.

Manin による次のような定理が,本研究のきっかけである.

b=c=1, d∈κ*\(κ*)3としたとき,Br(V) ≃Z/3Z⊕Z/3Zであって,その生成元はノルム剰余記号

{d,x + ζ/x + y}3,{d,x + z/x + y}3

によって与えられる.

Maninの定理において1であったパラメータb, cを動かしたときのBr(V)を考察することによって,本論文では以下の結果を得た.

定理1.b=1とし,c, d, cd, c/d. ∈(κ*)*とすると,Br(V)≃Z/3Zであって,その生成元は

{d/c,x + ζ/x + y}3

で与えられる.

定理2. a, b, c を不定元として,x3+by3+cz3=dで定義される対角型3次曲面V=V(b,c,d)を体F=k(b, c, d)上の曲面とみなす.またPk ⊂ (Gm×Gm×Gm)κを{P=(β, γ, δ); Br(VP)≃Z/3Z}とおき,dimF3κ*/(κ*)3≧2と仮定する.このとき,PκはGm×Gm×Gmの中でZariski稠密であるが,いかなる元e∈Br(V)といかなるZariski開集合W⊂Gm×Gm×Gmを選んでも,W(k)∩Pκの点P=(β, γ, δ)すべてに対して(b, c, d)→P=(β, γ, δ)によるeの特殊化ePがBr(VP)の生成元を与えるということはあり得ない.換言すれば,パラメータ付き曲面{VP}P∈PκのBrauer群に対しては,Pをパラメータとする生成元は存在しない.

上記二つの定理のうち,定理1の結果および証明はManinの定理のそれとほぼ平行であって,新しい結果とはいいながら,真に目新しい結果とは言えない.それに対して定理2のほうは,ノルム剰余記号といった既存の道具をもってしてはBr(VP)の構造を捉えることが不可能であることを示すものとして,これまでに類例のない斬新な結果である.定理2の証明の鍵はF= κ(b, c, d)上定義された上述のVに対して同型Br(F)≃Br(V)を示すことであって,本論文ではこの同型を従来行われたことのない独創的な計算を実行することで証明した.

提出論文は技術困難を伴うBrauer群の計算を独自の視点と手法で実行することによりBrauer群理論の複雑な様相を浮き彫りにしたものとして,十分な新規性をもつとともに,当該研究分野における重要な貢献と考えられる.

よって論文提出者植松哲也は,博士(数理科学)の学位を受けるにふさわしい資格があると認める.

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