学位論文要旨



No 215441
著者(漢字) 内田,建
著者(英字)
著者(カナ) ウチダ,ケン
標題(和) シリコン単電子素子とその集積回路への応用に関する研究
標題(洋)
報告番号 215441
報告番号 乙15441
学位授与日 2002.09.19
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第15441号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 白木,靖寛
 東京大学 教授 前田,康二
 東京大学 教授 五神,真
 東京大学 教授 鳥海,明
 東京大学 教授 尾鍋,研太郎
 東京大学 教授 平本,俊郎
内容要旨 要旨を表示する

 本論文では、単電子素子、すなわちクーロン・ブロッケード効果を動作原理とする電子デバイスを、シリコンを基盤材料としながら室温で動作可能なように作製する技術の開発と、実際に作製した単電子素子の電気特性の解析、また単電子素子を集積回路の要素素子として利用する回路方式の検討および提案と、提案する回路方式の有効性のシミュレーションによる検証、そして提案した回路の実験的な基本動作実証に関する研究成果をまとめたものである。

 はじめに、室温で動作しながら、電界効果型トランジスタ(Metal-Oxide-Semiconductor Field-Effect Transistor:MOSFET)とも混載化可能な、単電子素子の実現を目指し、シリコンを基盤材料とする単電子素子の作製方法を検討し、作製した素子における電子輸送現象を解析した。

 室温で動作する単電子素子の実現には、ナノメートル・スケールの量子ドットを作製することが必須である。この微細な量子ドットの作製技術として、膜厚数ナノメートルという極薄膜の絶縁膜上の単結晶シリコン(Silicon-On-Insulator:SOI)層の表面に、アルカリ薬液を基本とする薬品処理によって、意図的にナノメートル・スケールの表面起伏を形成する技術を開発した。膜厚と同程度の表面起伏は、SOI膜内における電子ポテンシャルの大きなゆらぎを引き起こす。その結果、SOI膜内には、多数の量子ドットが実効的に形成されることになる。このような、表面起伏を有する極薄膜SOIをチャネル層とするMOSFETを作製した。電気特性を調べた結果、本素子は低温でクーロン振動特性を示すだけでなく、室温に至るまで不揮発性の単電子メモリ機能を示すことが明らかになった。電気特性から見積もられる量子ドットのサイズと、原子間力顕微鏡と透過型電子顕微鏡によって評価した極薄膜SOIの表面起伏を比較した。その結果、表面起伏には長距離の相関長と短距離の相関長が存在し、長距離相関長の表面起伏によって形成された量子ドットでクーロン振動が引き起こされ、短距離相関長の表面起伏によって形成された量子ドットで単電子メモリ特性が発現していることが明らかになった。

 さらに、前述の薬品処理を含めた製造工程全般の最適化により、長距離相関長をより短くすることで、室温で単電子トランジスタ特性を明瞭に示す素子の作製に成功した。単電子トランジスタをスイッチ素子として使用する際の性能指標である山と谷の電流比は、2桁にも及び、世界最高の性能である。電気特性から見積もった量子ドットの大きさは5nm以下であり、ナノ・スケールの構造が達成できていることが明らかになった。改良したプロセスによって作製された素子においても、単電子メモリ機能が確認された。また、同一基板上に単電子素子とMOSFETを同時に作製し、単電子素子とMOSFETの混載化が可能であることを実証した。

 また、MOSFETと混載可能な、単電子素子を要素デバイスとする論理回路を提案した。提案する回路の性能を、シミュレーションによって解析するとともに、実験により基本的な動作実証を行った。

 はじめに、回路シミュレータに組み込み可能な、単電子トランジスタのデバイス・モデルを構築した。このようなデバイス・モデルは、単電子素子による論理回路の設計手法を検討する際の、必須の道具である。導出したデバイス・モデルによる単電子トランジスタの特性は、数値シミュレータによって計算された特性とほぼ完全に一致することが確認された。また、このデバイス・モデルを利用することで、単電子トランジスタを、スイッチ素子としての利用するための条件や性能を明確化した。その結果、素子を駆動するために必要なゲート電圧は、単電子トランジスタとMOSFETとで、同程度であることが明らかになった。また、単電子トランジスタをスイッチ素子として利用するためには、ドレイン電圧を十分に小さくすることが必要であることを明らかにした。

 また、単電子トランジスタを利用して、論理回路を構築・設計する手法を提案した。論理関数は、単電子トランジスタによる樹状回路である論理ツリーで表現する。論理ツリーを構成する各単電子トランジスタは、放電素子としてのみ機能させ、ゲート電圧レベルよりも低い電源電圧を論理ツリーに印加する。低電源電圧は、相補型MOS(Complementary Metal-oxide-semiconductor:CMOS)トランジスタ増幅器によってゲート電圧レベルまで増幅され、次段の論理ゲートが駆動可能となる。本研究で導出した単電子トランジスタのデバイス・モデルを利用し、本提案の論理回路が正常に動作することを確認した。また、本手法によって設計された論理回路の消費電力を見積もった。その結果、単電子トランジスタによる論理ツリー部に比較して、配線容量の充放電を行うCMOSバッファー部での消費電力が大きいこと、そしてこの差は、論理ツリー部に供給される電源電圧とCMOSバッファー部に供給される電源電圧の差のみでほとんど説明できることが明らかになった。

 最後に、単電子トランジスタ特有の特性であるクーロン振動を利用した、プログラマブル単電子トランジスタ論理を提案した。本回路では、MOSFETでは実現できないような、高いプログラム性を、実現することが可能である。プログラマブル単電子トランジスタ論理は、不揮発性メモリ機能を有する単電子トランジスタを基本構成要素とする。不揮発性メモリヘの書込みを、クーロン振動の位相がちょうど半周期分移動するように行う。この書込み操作は、単電・子トランジスタのゲートの直前に、反転増幅器を1個挿入することと等価であり、回路が行える演算機能が大幅に増加する。本プログラマブル論理回路の基本動作実証を、不揮発性メモリ機能を有する単電子素子を駆動素子、P型MOSFETを負荷素子とする回路で行った。単電子素子の不揮発性メモリ効果を利用して、この回路の機能を反転増幅器にも、正転増幅器にも、自在に変換することが可能であることを、室温で実証した。これは、単電子トランジスタを用いた論理回路の、室温でのはじめての動作実証である。

 以上のように、本論文では、これまで室温での論理回路動作が懐疑視されていた単電子トランジスタが、室温で論理動作が可能であることを実験的に示した。また、単電子トランジスタ特有の機能や特性を利用することで、集積回路の機能を向上させることが可能であることを実験的に実証した。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は「シリコン単電子素子とその集積回路への応用に関する研究」と題し、単電子素子、すなわちクーロン・ブロッケード効果を動作原理とする電子デバイスを、i)シリコンを基板材料として、室温でも動作可能とする技術の開発と、ii)作製した単電子素子における電子輸送現象の解析、またiii)単電子素子を集積回路の要素素子として利用する回路方式の提案と、iv)提案する回路方式の有効性のシミュレーションによる検証、そしてv)提案した回路の基本動作の実験的な実証に関する研究成果をまとめたもので、以下のiv部10章より構成されている。

 第I部は「序」であり、本研究の背景と目的、また単電子素子研究の概略について述べている。

 第1章では、本研究の背景と目的について述べられている。まず、近年の大規模集積回路(Large scale integration:LSI)を高性能化していく上での問題点について述べ、単電子素子がこの問題点を克服し、LSIの発展に寄与しうる素子であることを述べている。次に、単電子素子を集積化する上での問題点について述べ、この問題点のため、単電子素子のみでLSIを構成することは現実的でなく、電界効果型トランジスタ(Metal-Oxide-Semiconductor Field-Effect Transistor:MOSFET)と単電子素子が混載化されたLSIこそが次代のLSIとして有力であることを述べている。そして、本研究の目的が、MOSFETと単電子素子とを混載化したLSIを実現するために、室温で動作可能な"シリコン"単電子素子の作製技術を開発し、単電子素子をLSIの中で利用する方法の検討と実証を行うことであることを述べている。

 第2章では、これまでに報告されている本研究と関連した単電子素子の研究報告についてまとめている。まず、シリコン単電子素子を、その基本要素であるトンネル接合の実現方法に基づいて分類・整理している。この分類により、室温動作シリコン単電子素子を実現する上での問題点を明らかにしている。また、単電子素子の特性を計算する手法、論理回路を単電子素子で構築する方法に関しての関連論文についてまとめている。

 第II部は「単電子素子の作製と動作解析」と題し、MOSFETと混載可能な、室温で動作するシリコン単電子素子の作製と、作製した素子における電子輸送現象の解析結果について述べている。

 第3章では、新しい単電子素子の作製方法を提案している。提案した素子の基本構造は、絶縁膜上の単結晶シリコン(Silicon-On-lnsulator:SOI)層をチャネル層とするSOI MOSFETである。ただし、SOI層は極薄膜で、その表面は薬液処理によって微細な起伏を形成している。このような極薄膜SOIを用いてMOSFETを作製し、この素子が、低温でクーロン振動特性やクーロン・ブロッケード特性といった単電子トランジスタに特有の特性を示すこと、また、室温にいたるまで単電子の不揮発性メモリ効果を示すことを実証している。さらに、表面起伏構造を原子間力顕微鏡で解析し、単電子トランジスタ特性と単電子メモリ特性が、表面起伏によって形成された量子ドットによって実現されていることを明らかにしている。

 第4章では、薬液処理条件と表面起伏の関係について調べている。シリコンのエッチング剤にエッチングの抑止剤を添加することで表面起伏が増加すること、自然酸化膜の付いた状態で処理を施すと表面起伏が増加することが明らかとなっている。

 第5章では、最適化した薬液処理を用いて、室温で動作可能なシリコン単電子素子を実現している。作製した単電子素子は、室温において2桁というこれまでに前例のない、きわめて高いON/OFF比のクーロン振動特性を示しており、また、単電子素子とMOSFETを同一基板上に作製し、これらの混載回路の動作を室温で実証している。

 第III部は「単電子素子のLSIへの応用」と題し、論理回路を単電子素子で構築する方法の提案と、提案する回路の動作実証に関して報告している。

 第6章では、単電子素子を用いた論理回路の設計を支援するツールとして、回路シミュレータに組み込み可能な、単電子トランジスタの物理的デバイス・モデルを導出している。このデバイス・モデルを利用して、単電子トランジスタのデバイス特性を簡潔に表しうる公式を導出し、単電子トランジスタのゲートを駆動するために必要な電圧が、MOSFETと同程度であることを明らかにしている。

 第7章では、論理回路を単電子素子で構築する方法を提案している。この方法では、論理演算を表現する樹状回路、すなわち論理ツリーを単電子トランジスタで構築し、単電子トランジスタは放電素子か充電素子のどちらか一方としてのみ機能するように動作させる。論理ツリーへのバイアス電圧は、単電子トランジスタのゲートヘの入力電圧より小さい電圧を使用し、この電圧レベルの不整合はCMOS増幅器を利用することで整合させる、この方法に基づいて四入力の排他論理和を設計し、回路動作をシミュレーションで確認するとともに、単電子トランジスタを用いた回路の性能について考察している。その結果、CMOS回路の性能をはるかに凌駕するLSIを単電子素子で構築するためには、MOSFETにはない単電子素子特有の機能を活用することが、重要であることを明らかにしている。

 第8章では、単電子トランジスタ固有の特性を利用したプログラマブル・ロジックの提案と実証を行なっている。単電子トランジスタ固有の特性であるクーロン振動特性と不揮発性メモリ機能を併用することで、不揮発性メモリ機能を有するMOSFETでは実現できない高いプログラム性を有する論理回路を実現する方法を提案し、その基本動作を室温で実験的に実証している。

 第iv部は「まとめ」であり、第9章では今後の展望について述べるとともに、第10章で、本研究で得られた成果を総括している。

 以上のように本論文は、単電子素子をLSIの要素素子として活用するためにはMOSFETとの混載化が不可欠であるとの認識のもと、MOSFETと作製工程で互換性のあるシリコン単電子素子を考案し、このシリコン単電子素子が、室温で単電子トランジスタおよび単電子メモリ素子として機能することを実証している。また、実際に単電子素子とMOSFETとの混載回路を同一基板上に作製し、室温で混載回路の動作実証を行っている。さらに、単電子素子を論理回路の要素素子として利用する回路方式を考案し、新たに開発したシミュレーション手法でその有効性を示している。また、単電子トランジスタを含むLSIの高性能化には、単電子トランジスタ特有の機能を利用することが本質的に重要であることを指摘するとともに、その1つの方法としてプログラマブル・ロジックを提案、基本回路動作を実証している。これらの過程を通じて、世界最高レベルの特性を示す単電子トランジスタを作製し、単電子素子を用いた回路の室温動作を世界で始めて示したものであって、物理工学分野へ貢献するところ少なくない。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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