学位論文要旨



No 216303
著者(漢字) 笠,真生
著者(英字)
著者(カナ) リュウ,シンセイ
標題(和) 乱れのある電子系におけるマルチフラクタルスケーリングと汎関数繰り込み群
標題(洋) Multifranctal Scaling and Functional Renormalization Group in Disordered Electron Systems
報告番号 216303
報告番号 乙16303
学位授与日 2005.07.21
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第16303号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 初貝,安弘
 東京大学 教授 永長,直人
 東京大学 教授 青木,秀夫
 東京大学 助教授 長田,俊人
 上智大学 教授 大槻,東巳
内容要旨 要旨を表示する

ランダムネスの存在下では、クリーンな系には見られない臨界現象、臨界点が現れることがある。代表的な例は、スピングラス系に見られる多重臨界点、不規則電子系におけるAnderson金属-絶縁体転移などであり、ランダム臨界点と呼ばれている。クリーンな系の古典的臨界現象は、スケーリングと繰り込み群の導入により、今や非常によく理解されていると言ってよい。しかしながら、ランダムな臨界点、臨界現象に対する我々の理解は、クリーンな場合に比べると非常に初歩的なレベルに留まっているのが現状である。

それでは、ランダム臨界点は、クリーンな系の臨界点と比べて一体どのような点において異なっているのであろうか?まず一つには、ランダム臨界点近傍では局所的な物理量が統計的に激しく揺らぐことが挙げられる。ランダム系では、物理量は乱れの配置に依存したランダム変数であり、局所的な量、例えば、相関関数や、Anderson局在の問題におけるコンダクタンスや局所状態密度(LDOS)などは、熱力学極限においてさえもサンプルごとに揺らぎ得る。また、局所的物理量の統計的な揺らぎは、その空間分布、空間的構造にも顔をだす。ランダム臨界点直上で物理量の$q$次のモーメントのシステムサイズ依存性を考えると、異なった$q$に対しては、異なった臨界指数でスケールするという現象が見られる。すなわち、ランダム臨界点を特徴づけるのには、単一の臨界指数(フラクタル次元)ではなく、臨界指数のスペクトラムが必要であり、マルチフラクタル的であるいわれる。

ランダム臨界点の以上二つの特徴は、物理量の平均値だけでなく、その分布関数全体を解析の対象にしなければならないことを強く示唆している。従って、クリーンな臨界現象に対する解析の基本的な道具である繰り込み群を、ランダムな臨界現象において適用するのであれば、それは物理量の分布関数全体に対して定式化されなければならない。

以上のような問題意識に基づき、本博士論文では、ランダムネスが引き起こす臨界現象と、それに対する繰り込み群のアイデアの適用に対する理解を深めるべく、エネルギースペクトラムにカイラル対称性と呼ばれる粒子正孔対称性が課された系のAnderson局在の問題を、1次元、2次元において議論した。

不規則電子系は、Wigner-Dyson以来、時間反転対称性とスピン回転対称性の観点から三つのクラス(オーソゴナル、ユニタリ、シンプレクティック)に分類されていた。ところが90年代後半になると、粒子正孔対称性を伴ったAnderson局在の問題は、これらスタンダードなユニバーサリティクラスとは異なったクラスに属することが認識されるようになる。これらの粒子正孔対称性を持つユニバーサリティクラスには大きく分けて二つの種類があり、それぞれBogoliubov-deGennes クラス、カイラルクラスと呼ばれる。カイラルクラスは、特にユニタリ演算子によって粒子正孔対称性が実現されている場合を指し、その典型例は、バイパータイト格子状で定義された強束縛模型において、飛び移り積分にランダムネスを導入した模型(ランダムホッピング模型)である。

粒子正孔対称性をもつユニバーサリティクラスの研究は、高温超伝導体に代表される、異方的超伝導体における乱れの効果が大きな関心を集めたのを契機に、90年代半ばから大きな盛り上がりをみせるようになった。カイラルクラスの模型は、量子ホールプラトー間転移に関連する問題、$d$波超伝導体におけるの乱れの効果、分数量子ホール効果や強相関電子系におけるゲージ理論のアプローチ、あるいは量子色力学の現象論、などの観点から注目を集めるようになった。また、粒子正孔対称なクラスが、ランダムな臨界現象に対する理解を深めるのに、ある種の突破口となり得る点も注目された。というのも、粒子正孔対称性のある系では、2次元以下でもAnderson転移が起こり得るので、より詳細に調べることができるからである。また、これらの系では、臨界現象を1粒子Green関数(状態密度)を使って調べることができる。このことは、2粒子Green関数(輸送現象)を使ってAnderson転移を議論する必要があるスタンダードクラスと比べると、シンプルであると言える。

粒子正孔対称性がある系では、エネルギースペクトラムの中央(ゼロエネルギー)は粒子と正孔の入れ換えに対して不変であるという点で特別である。1次元、2次元のカイラルクラスにおいては、ゼロエネルギーは局在-非局在の転移点になっており、状態密度(DOS)に臨界現象が見られる。このことは、1次元に対しては1953年にDysonによって、2次元に対しては1993年にGadeによって、それぞれ最初に議論された。Dysonは、1次元のランダムホッピング模型のDOS 〓がエネルギー〓の関数として、バンドの中央〓で

の関数形で発散することを示した(Dyson特異性)。その後、Dyson特異性はランダムホッピング模型のバンドの中央での局在長の発散や、特異なコンダクタンスの分布に関係していることが明らかにされた。一方Gadeは、2次元のランダムホッピング模型に対し、DOSは

のような特異性を示すと主張した(Gade特異性)。1次元の場合と同様に、この特異性に対応して、バンド中央の波動関数は非局在であり、マルチフラクタル的であることが明らかにされた。

しかしながら既に述べた通り、ランダムな臨界現象においては物理量の平均値(この場合、DOS=LDOSの平均値)だけではなく分布関数全体を解析の対象とすべきである。そこで本博士論文では、LDOSの分布関数が、ランダムホッピング模型のバンドの中央付近でどのように振舞うのかを問題にした。まずは1次元の場合に対し、LDOS分布を、散乱行列の分布関数に対する汎関数繰り込み群の方程式である、Dorokhov-Mello-Pichard-Kumar(DMPK)の方程式によって計算した。DMPKの方法は従来は、ある一つのクラスに対して特化して用いられてきた。しかしながら本博士論文では、ランダム臨界点から離れるに従い物理量の分布がどう変化するかを議論するために、DMPKの方法を拡張し、ランダムホッピング模型のバンドの中央、バンドの中央から遠く離れた局在相(=スタンダードクラス)、そして両者の中間的領域、を統一的に議論できるようにした。

この拡張したDMPKのアプローチを用いて、ランダムホッピング模型の非局在転移点直上でのLDOSの厳密な分布、及び、非局在転移点から離れていった時の分布関数の振舞いを得ることができた。1989年にAltshulerとPrigodin によって計算された局在相におけるLDOS分布と比べて、非局在転移点に近付くにつれ、分布関数の裾野が非常にブロードになっていく様子を定量的に議論することができた。また副産物として、局在長およびコンダクタンスの分布関数に対する議論も行った。

次に、2次元のランダムホッピング模型のLDOS分布に対し、有効場の理論と繰り込み群を使って解析を行った。この模型のバンドの中央は臨界点(線)になっており、理論に無限個の負のスケール次元のオペレーターが存在する。このことは、冒頭で述べた、激しいサンプル間の揺らぎとマルチフラクタル性という、ランダム臨界点の二つの特徴を如実に顕している。というのも、分布関数に対して繰り込み群を適用するのならば、関数の形を特徴づけるための無限個のパラメタ(分布関数のモーメント)が必要であり、そのために無限個の独立したスケーリングオペレーターが存在しなくてはならないからである。

本論文では、これらの無限個のスケーリングオペレーターに対し1ループの繰り込み群の解析を行い、LDOS分布が従う汎関数繰り込み群方程式は、Kolmogoroff-Petrovsky-Piscounoff(KPP)方程式と呼ばれる非線形偏微分方程式に帰着されることを示した。このKPP方程式は、フリージングと呼ばれるグラス的な振舞いを示すことが数学者達によって調べられている。このグラス的な振舞いはLDOSの平均値であるDOSにも直接反映され、バンド中央でのDOSの発散は、これまで信じられてきたGade 型の発散〓ではなく、

で与えられることがわかる。この結果は、Motrunich、Damle, Huseらのランダムネスの強い極限からの描像とコンシステントである。

ランダムネスによって引き起こされる非自明な固定点(線)に直接アクセスでき、スケーリングオペレーターのスペクトラムを完全に決定できること、そして、理論のnon-untarityを反映して負のスケール次元のオペレーターが無限個存在すること、さらに、それらのランダム系固有の難しさに関わらず、固定点の回りでの繰り込み群の流れをコントロールできこと、しかも、それがランダム系に特有な臨界現象に直接関係していること、これらの点で2次元のランダムホッピング模型はユニークである。本論文で開発されたランダム系に特有な様々な概念や手法が、量子ホールプラトー間転移などのカイラルクラス以外Anderson局在の問題の問題や、ランダムスピン系などの不規則古典統計系にフィードバックされていくものと期待している。

審査要旨 要旨を表示する

統計力学においては相転移や臨界現象は中心的なテーマであるが、通常は不規則性のないクリーンな系を扱う。これに対しランダムネスの存在下では、クリーンな系には見られない臨界現象、臨界点が現れることがある。代表的な例は、スピングラス系に見られる多重臨界点、不規則電子系におけるAnderson金属-絶縁体転移などであり、ランダム臨界点と呼ばれている。クリーンな系の臨界現象にくらべランダムな臨界点、臨界現象に対する我々の理解は必ずしも十分ではなく現代の基礎物理学研究の重要な課題の一つである。

このランダム臨界点近傍では局所的な物理量が統計的に激しく揺らぐことが多くの研究によって知られている。ランダム系では物理量は乱れの配置に依存したランダム変数であり、局所的な量、例えば、相関関数や、Anderson局在の問題におけるコンダクタンスや局所状態密度(LDOS)などは、サンプルごとに大きく揺らぎ得る。この局所的物理量の統計的な揺らぎは、その空間分布、空間的構造にも影響をあたえ、ランダム臨界点を特徴づけるためには、単一の臨界指数では十分ではなく、臨界指数のスペクトラムが必要であり、マルチフラクタル的であるといわれる。これらはランダム臨界点の特徴的性質として、物理量の平均値だけでなく、その分布関数全体の重要性を強く示唆するものといえよう。従って、クリーンな臨界現象に対する解析の基本的な道具である繰り込み群を、ランダムな臨界現象において適用するのであれば、それは物理量の分布関数全体に対して定式化することが有効であると考えられる。

以上のような問題意識を背景として、本博士論文では、ランダムネスが引き起こす臨界現象と、それに対する繰り込み群のアイデアの適用に対する理解を深めるべくエネルギースペクトラムにカイラル対称性と呼ばれる特殊な粒子正孔対称性が課された系のAnderson局在の問題を、1次元、2次元において議論した。

第1章では、本研究の背景として、ランダム系の量子相転移と研究現状に関して概説し、これらを踏まえた上で本研究の目的を示し、さらに本論文の構成について述べている。

第2章では1次元の場合に対し、局所状態密度(LDOS)分布を汎関数繰り込み群の方程式によって計算しランダムホッピング模型の非局在転移点直上でのLDOSの厳密な分布、及び、非局在転移点からずれたときの分布関数の振舞いを得た。特にDyson特異性とよばれる特異な状態密度の振る舞いに着目した研究を行った。また局在長およびコンダクタンスの分布関数に対する議論も行い、数値的研究も行い解析解と比較し良い一致をみた。

第3章では、2次元のランダムホッピング模型のLDOS分布に対し、有効場の理論と繰り込み群を使って解析を行った。この模型のバンドの中央は臨界点(線)になっており、理論に無限個の負のスケール次元のオペレーターが存在する。このことは、冒頭で述べた、激しいサンプル間の揺らぎとマルチフラクタル性というランダム臨界点の二つの特徴を反映している。これに対応し、バンド中央ではGade特異性とよばれる状態密度の特異な振る舞いが生ずる。本論文では、これらの無限個のスケーリングオペレーターに対し1ループの繰り込み群の解析を行い、局所状態密度分布が従う汎関数繰り込み群方程式は、Kolmogoroff-Petrovsky-Piscounoff(KPP)方程式と呼ばれる非線形偏微分方程式に帰着されることを示した。このKPP方程式は、フリージングと呼ばれるグラス的な振舞いを示すことが過去の研究により知られており、本研究ではこれらの研究に基づき検討を加えた。このGade特異性に関しては理論的に幾つかの提案があり混乱した状況にあったが、この方程式の解析により本論文で得られた結果は他のランダムネスの強い極限からの描像とコンシステントであることを示した。またこれらの結果も数値的研究と可能な限り比較を行いコンシステントな結果を得ている。

第4章では、本研究の結果をまとめ、最後に課題と今後の展望を述べている。また研究に用いた計算の細部は付録としてまとめてある。

以上、本研究は、1,2次元のランダムホッピング模型に対して種々の方法で解析的な研究を行い、可能な点については数値的研究との比較を行いその実証性を示したものである。ランダム臨界点のなかでもランダムホッピング模型はカイラル対称性という付加的対称性を持ち、幾つかの観点から取り扱いやすく理論的手法が有効に働く点においてユニークである。しかし一方では長期的には本論文で使われたランダム系に特有な様々な概念や手法が、量子ホールプラトー間転移などのカイラルクラス以外のAnderson 局在の問題の問題や、ランダムスピン系などの不規則古典統計系にフィードバックされうると期待できる点でその波及効果は大きいと考える。本研究によって、従来の手法では得られなかった新しい知見を提示し、特定の模型に関してではあるがランダム系に対する有効な知見を得た点で意義のある成果である。これらは、物理工学の発展への寄与が大きいと判断できる。

よって、本論文は博士(工学)の学位論文として合格と認める。

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