学位論文要旨



No 216387
著者(漢字) 西田,徹志
著者(英字)
著者(カナ) ニシダ,テツシ
標題(和) ボート航行距離方程式の粘性解とその応用
標題(洋)
報告番号 216387
報告番号 乙16387
学位授与日 2005.11.24
学位種別 論文博士
学位種類 博士(情報理工学)
学位記番号 第16387号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 杉原,厚吉
 東京大学 教授 室田,一雄
 東京大学 教授 岡部,篤行
 東京大学 助教授 松井,知己
 東京大学 講師 松尾,宇泰
内容要旨 要旨を表示する

本論文は,流れをともなう水面上を動くボートをモデル化したボート航行距離という新たな距離を導入し,その距離を安定に計算する数値計算法の構成について研究したものである.ボート航行距離とは,連続な流れがある2次元平面上に始点と終点が与えられたとき,ボートがその間を移動するのにかかる最小時間のことをいう.また,ボート航行距離を達成する経路のことを最短経路と呼ぶ.本研究では,ボート航行距離を計算する問題を,常微分方程式の初期値問題および偏微分方程式の境界値問題として定式化できることを示し,それぞれの定式化に対して安定な数値計算法の提案を行った.そして,数値計算により,その有効性を示した.

ボート航行距離およびその最短経路を見つける問題は,航路や飛行路の最適設計などの実用的な面から鑑みても,大変意味のある問題である.このような問題は,最適制御問題に帰着される.すなわち,始点と終点を結ぶあらゆるボートの経路を考え,それぞれの経路にかかる時間を計算し,その中から最短時間および最短経路を見つけるという問題となる.

この最適制御問題を解く既存の方法として,次の二つが挙げられる. 一つは等時間曲線法を利用する解法である.等時間曲線とは,始点から一定時間後に到達し得る領域の外側境界のことであり,それらを逐次求めて最短経路を決定する方法が等時間曲線法である.その計算方法の概略を示す.ある時間における等時間曲線を有限個の点で近似する.そして,その各点に対していくつかの方向に一定時間動かし,最も遠くに行ったものを採用する.そして,それらから,次の等時間曲線を決定する.これを始点から終点に達するまで行うことで最短経路を得る.もう一つの方法は,動的計画法を利用する方法である.始点と終点を含む領域に格子点を配置し,その格子点間に無数のネットワークを構成する.そして,その格子点間の到達時間を計算しておき,動的計画法により始点と終点を繋ぐ最短経路を求める方法である.

しかしながら,どちらの方法においても,この問題がもつ物理的な性質を考慮していないため,効率の悪い計算を行うことになる.本論文では,この問題がもつ物理的性質を導出し,それをもとに常微分方程式の初期値問題および偏微分方程式の境界値問題に定式化し,それぞれの定式化に対して効率的かつ安定な数値計算法を提案している.

最適制御の世界では,ボート航行距離のような関数のことを値関数と呼ぶ.最適制御における基本は動的計画原理である.動的計画原理が成立するとき,値関数が滑らかならば,値関数からベルマン方程式と呼ばれる非線形方程式が現れる.すなわち,値関数はそのベルマン方程式の解となっている.このことを踏まえ,第2章で,ボート航行距離を最適制御の最小時間問題の値関数として定義する.そして,ボート航行距離が動的計画原理を満たすことを示し,動的計画原理の基礎方程式であるベルマン方程式を導いている.そして,ベルマン方程式から,ボート航行距離を達成する経路が満たすべき条件を導いた.ボート航行距離を達成するためには,ボートが等距離曲線に対して垂直に進むべきであるということが導かれる.そこで,この性質を考慮することにより,ボート航行距離を計算するための二つの定式化を行った.一つは,常微分方程式の初期値問題として定式化し,そこに出てくる方程式をラグランジュ的ボート航行距離方程式と名付けた.もう一方は,偏微分方程式の境界値問題として定式化し,オイラー的ボート航行距離方程式と名付けた.

本論文では,さらに,それぞれの定式化に対して,解を安定に計算する手法の提案を行った.

第3章では,ラグランジュ的ボート航行距離方程式を解くための方法について記述している.その方法はマーカー粒子法を改良したものである.マーカー粒子法は,初期境界を有限個の粒子で近似し,その粒子の動きを時間とともに追跡することにより,方程式を解く手法である.ラグランジュ的ボート航行距離方程式の場合,粒子の動きを決定するために,等距離曲線の法線方向を知る必要がある.そのため,近傍の情報を用いなければならない.近傍が滑らかであれば問題ない.しかしながら,最適制御の問題では,たとえ初期条件が滑らかであっても,あるところから滑らかでなくなることが知られている.つまり,近傍の情報を用いる限り,数値不安定性を引き起こすことになる.そこで,その不安定性を回避する方法を提案した.その方法は,近傍の情報を用いることなく計算する方法で,着目している粒子のみで独立に,次の方向を決定できる方程式を追加し,安定に解く方法である.

次に,第4章,第5章で,もう一つの方程式,オイラー的ボート航行距離方程式に対する性質および数値計算法について記述した.

前節で述べたように,最適制御の問題に置ける解は,一般に滑らかであるとは限らない.ゆえに,ボート航行距離をあらわす値関数は古典解として,オイラー的ボート航行距離方程式の解とはならないことがある.そこで解の条件を緩和したもの,つまり一般化された解(弱解)を考えなければならない.しかしながら,条件を緩和すると,それを満たす解が無数に出てくることは良く知られてた事実である.では,いかなる条件の下で弱解が一意に定まるのか,また,一意に得られた弱解が物理的な意味を持つ解になっているのかという問題を考えねばならない.しかし,オイラー的ボート航行距離方程式の場合,粘性解と呼ばれる弱解の理論を適用することで,これらはすべて解決される.粘性解は,1980年代初頭に,CrandallとLionsによって,最適制御問題の値関数を表わすために導入されたものである.値関数は,ある種のハミルトン・ヤコビ方程式と呼ばれる1階の偏微分方程式の解である.その後,粘性解理論は発展し,今では,退化楕円型や退化放物型と呼ばれる2階の非線形偏微分方程式のクラスに対する一般化された解(弱解)のことを指す.粘性解の導入により,このクラスに属す偏微分方程式の初期値問題や境界値問題に対して,一意性や存在性をいうことができるようになった.第4章では,この理論を利用することで,ボート航行距離が,オイラー的ボート航行距離方程式の粘性解になっていることを示した.つまり,オイラー的ボート航行距離方程式の解の存在性および一意性の保証を行ったことになる.そして,第5章では,オイラー的ボート航行距離方程式に対する安定な数値計算法を提案した.その方法は,幾何光学にでてくるアイコナール方程式を効率的そして安定に解くSethianのFast marching法を,ボート航行距離方程式用に改良したものである.Fast Marching法は,風上差分を利用して,距離の小さい方から大きい方へ解いて行く方法である.しかし,Fast marching法は,アイコナール方程式以外には適用できなかった.本論文では,風上差分を拡張することにより,Fast Marching法をボート航行距離方程式に対して適用できるように拡張を行った.

第6章,第7章では,ボート航行距離方程式の応用および拡張について述べている.特に,ボロノイ図への応用を述べている.ボロノイ図は,空間に有限個の点を与えたとき,それらの点による空間の勢力圏分割のことで,画像処理や地理情報処理,有限要素法などの数値解法のためのメッシュ生成などいろいろな場面で広く利用されている.

ボロノイ図の主要な研究テーマとして,一般化がある.次元の一般化や生成元(線分,多角形,円など)の一般化,距離の一般化などが挙げられる.特に典型的なのが,距離の一般化である.最も基本的なボロノイ図は, 平面上に生成元と呼ばれる点が与えられたとき,ユークリッド距離で測って,平面上の点がどの生成元に近いかによって平面を分割したものである.このユークリッド距離を他の様々な距離に置き換えることにより,様々な一般化ボロノイ図が提案されている.そこで,第6章では,ボート航行距離を使ったボロノイ図の提案をしている.これをボート航行距離ボロノイ図と呼んでいる.また,第7章では,平面から曲面へボート航行距離を拡張し,曲面上のボート航行距離ボロノイ図やスノーモービル距離ボロノイ図,森林火災ボロノイ図の提案も行っている.

審査要旨 要旨を表示する

最適化は,限られた資源を有効に利用するための重要な数理手法である.特に,近年,地球資源の枯渇,環境の保護などの立場からその重要性は一段と高まり,各種の実用的場面で最適な解を効率よく求める手法の開発はますます必要とされている.しかし,現実に現れる最適化問題は多くの場合に非線形であり,効率よくかつ安定に解を求めることは容易ではない.したがって,少数の統一的手法による解決は難しく,個別の問題ごとにその特質を利用して解法を開発していく努力を積み重ねるしかない.

このような社会的背景のもとで,本論文は,航空機や輸送船が燃料最小の経路を選択する問題への応用を念頭に置いて,流れの中での最適経路を求める方法を構成したもので,「ボート航行距離方程式の粘性解とその応用」と題して8章から成る.

第1章「序論」では,本論文の目的,関連する先行研究について論じ,その中での本研究の位置づけを明らかにしている.

第2章「ボート航行距離とその二つの定式化」では,問題を数理的に定式化している.静水中では任意の方向へ等しい速さで進むことのできるボートが,与えられた流れの中で出発地から目的地まで移動するのに要する最短の時間をボート航行距離と名付け,この距離が満たすべき2種類の方程式を導いている.その第一は,ボートが最短経路に沿って動くときの位置が時間とともに変わる様子を定式化したもので,ラグランジュ的ボート航行距離方程式と名付けられている.その第二は,ボートの最適経路が,最適性の原理を満たし,したがって動的計画法の手法で扱えることに着目し,それぞれの場所への最短到達時刻を変数とする偏微分方程式に表したもので,オイラー的ボート航行距離方程式と名付けられている.これら二つの定式化に対して,それぞれ安定な解法を求めることが,本論文の主要な目的である.

第3章は,「ラグランジュ的ボート航行距離方程式に対する数値計算法」と題し,第一の定式化に対する解法を構成している.ラグランジュ的な方程式は,ボートに対応する粒子の経路を表すものであるが,従来のマーカー粒子法では経路の追跡が不安定になる.それは,計算に必要な到達時刻の勾配方向が特異点付近で正しく求められないためである.この困難を克服するために,局所的な最適経路自身は特異点をもたないことに着目し,近傍の粒子を使わないで勾配方向を推定する方法を構成した.そして,これを利用して解を安定に求める新しいマーカー粒子法を提案し,その有効性を計算実験によっても確かめている.

第4章「オイラー的ボート航行距離方程式と粘性解理論」では,第二の定式化の正当性を理論的に示している.オイラー的定式化によって得られたボート航行距離方程式は,古典的な意味での解をもたないため,解の探索範囲を弱解に広げて議論を進める必要がある.ここでは,ボート航行距離方程式がベルマン方程式とよばれる偏微分方程式のクラスに属すことを示し,ベルマン方程式に関して既にわかっている知見をボート航行距離方程式に当てはめることによって,ある条件のもとで,値関数とよばれる特別な弱解がボートの最適航路に対応する粘性解であることを示すとともに,その解が常に存在し,かつ一意であることを確認している.これによって,本定式化の正当性が数理的に保証されたことになる.

第5章「オイラー的ボート航行距離方程式に対する数値計算法」では,第4章でその存在と一意性を証明した粘性解を求める安定で効率のよい二つの方法を構成している.その第一は,錐近似法と名付けられたもので,流れが局所的に一様であるとみなしたとき,1点から出発したボートの到達できる範囲が時空間において流れに応じて傾斜した軸をもつ錐体で近似できることを利用して,計算を進める方法である.精度よく錐体を推定するためのサンプル点の取り方を構成し,それによって到達時刻の計算が著しく改善されることを実験的に示している.また第二の方法は,拡張fast marching法と名付けられたもので,従来のfast marching法が直交する二つの方向の差分のみを使うために計算が不安定になることを反省し,特性曲線をはさみ45度ずつ異なる二つの方向の差分を用いることによって,計算の 安定性を確保している.

第6章は「ボート航行距離の応用」と題して,第5章で構成した方法をいくつかの場面に応用している.その第一は,各種の流れの中での最小到達時刻とそれを実現する経路の計算である.ここでは,特異点が現れる状況でも安定に計算ができることを示している.その第二は,森林火災のシミュレーションで,風のある環境で,燃えやすい枯草と燃えにくい森とが混在した平原において,火災が時間とともに燃え広がる様子が推定できることを示している.また,その第三は,ボート航行距離に基づいたボロノイ図の計算で,水面に係留されている多数のボートのどれが最も早く到着できるかに従って水面を分別するアルゴリズムを構成し,その有効性を計算実験によっても確かめている.

第7章「曲面上の距離」では,ボート航行距離の概念を曲面上へ拡張し,それに応じたボート航行距離とその解法を構成している.これによって,航空機や輸送船の地球規模での航路の最適化も可能にした.さらに,斜面を登ることが流れに逆らって進むことと等価で,斜面を下ることが流れに乗って進むことと等価であるという点に着目し,雪で覆われた斜面を移動するスノーモービルの移動時間に対応したスノーモービル距離方程式を導入し,本論文で構成した計算法が,この方程式の解法としても使えることを示している.

第8章「おわりに」では,本論文の成果をまとめるとともに,今後に残された課題を整理している.

以上を要するに,本論文は,流れのある環境で移動体が最短時間で到達するための経路を数理的に定式化するとともに,流れを求める安定で効率のよい計算手法を構成し,それによって地球資源の有効利用のための数理的手段を提供したもので,数理情報学に大きく貢献するものである.

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