学位論文要旨



No 217500
著者(漢字) 下川,淳
著者(英字)
著者(カナ) シモカワ,ジュン
標題(和) スルホニル基の特性を活用した新規ジアゾ酢酸エステル及びオキシム合成法の開発
標題(洋)
報告番号 217500
報告番号 乙17500
学位授与日 2011.04.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第17500号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 福山,透
 東京大学 教授 大和田,智彦
 東京大学 教授 金井,求
 東京大学 教授 井上,将行
 東京大学 准教授 横島,聡
内容要旨 要旨を表示する

【背景・目的】

現代有機合成化学における一つの目標に、新しい反応性の発見が挙げられる。未知の反応性はそれまで困難であった変換を実現し乱また陽の目を見ることのなかった過去の知見を見直すきっかけを作り、さらなる未知の反応性を発見するための基礎的な知見を生み出す。新しい反応性は必ずしも今まで全く未知であったものだけから生み出されるわけではなく、誰もが見知った官能基や試薬、反応を組み合わせることで新たな知見が引き出される。私は広く用いられている官能基の一つとしてスルポニル基に注目し、その未知の反応性を引き出すことを目的に研究を行った。

スルホニル基は一般にヘテロ芳香環の保護基、あるいは水酸基を脱離基へと変換する目的に使われることが多い官能基であるが、これらに加えていくつかの注目すべき性質を持っている。その中でも私が注目したスルポニル基の特性として以下の二つの点が挙げられる。一つはその強い電子吸引性のためにスルホンアミド基上のプロトンが高い酸性度を持っている点であり、もう一点はスルフィン酸塩がβ脱離することで基実が相対的に酸化されるという点である。前者の例はノシルァミドの脱プロトン化反応が温和な条件下で容易に進行することに見て取れる。このためにノシルアミドを用いた場合には塩基性条件下におけるハロアルヵンへの求核置換反応だけでなく、スルホンァミドを用いる場合には一般に困難なことの知られる光延反応までが極めて円滑に進行する。また後者の例としてはBarnford-Stevems反応が例に挙げられる。スルポニルヒドラゾンを塩基性条件下加熱することでジアゾアルカンが生成し、この分解によりオレフィンとなる。この際に、スルポニル基がスルフィン酸塩として脱離する。この際、酸化剤や還元剤を使用していないことから全体の酸化段階は変わらず、ヒドラジドが一段階酸化されたジアゾアルカンに変換されたものととらえることができる。私はスルホニル基の持っこれら二つの性質、すなわち活性化とスルフィン酸塩の脱離による基質の酸化とを組み合わせることにより新たな反応性を見出すことを目的として研究を行った。

【結果】

1.N,N'-ジトシルヒドラジンを用いたジアゾ酢酸エステルの合成1

ジアゾ酢酸エステルは金属カルベノイドの前駆体を始めとした多様な目的に用いられる官能基である。C-H活性化反応に対する興味が近年ますます高まる中、その活躍の機会がますます多くなってきていることもあり、私は新たなジアゾ酢酸エステルの合成法を開発することを目的に研究を行った。そこで先に説明したスルポニル基の持つ二つの性質を組み合わせることにより、求核置換反応を基盤とするジアゾ酢酸エステルの新たな合成法を開発することを計画した(Scheme 1)。ジアゾ酢酸エステルのジアゾ基は対応するヒドラジノ基に比べて酸化段階が二段階高いと考えられる。ヒドラジンを直接求核置換反応に用いることは現実的でないことから塩基性条件下における脱プロトン化が容易なスルホンァミド基の性質を活用して求核置換反応を行なうこととした。またスルポニル基がスルフィン酸塩として脱離するときに基質の酸化段階が一段階高くなることを思い起こすと、酸化段階を二段階向上させるためには二回の脱離が必要であると判断できる。そこで、二つのスルポニル基を基質内に有するN,N'一ジスルポニルヒドラジンを試薬として用いることが妥当であると考え、検討を開始した(Scheme 2)。調製したN,N'-ジトシルヒドラジンは非常に安定であり、ピリジン塩基性条件下p-トシルヒドラジドとp-トシルクロリドを反応させた後、生成する粗生成物をアセトンから再結晶することで容易に調製可能であることを見出した。

本試薬は容易に高収率で合成可能であり、50-gスケールでの簡便な合成法も既に開発している。また分解点が228。Cと十分に高く、室温下でも長期間安定に保存可能である。プロモ酢酸エステル##を基質として求核置換反応の検討を行った結果、DBUの塩基性条件下N,N'-ジトシルヒドラジンを反応させた場合に、当初の予想通りプロモ酢酸エステルがジアゾ酢酸エステルへと高収率で変換できることを見いだした。本条件を用いて種々のアルコールからプロモ酢酸エステルを経由するジアゾ酢酸エステルの二段階合成法について検討した結果(Table 1)、一級、二級の様々なアルコールまたはフェノールから対応するジァゾ酢酸エステルへの変換が中程度から良好な収率で進行することを見出した。また本方法を用いることでα-プロモケトンも対応するα-ジアゾケトンへと変換可能であることも見いだした(Scheme 3)。

2.O-TBS-N-トシルヒドロキシルアミンを用いたオキシムの合成3

ジアゾ酢酸エステルの合成においてスルポニル基の二つの性質、窒素原子上の活性化及び脱離による基質の酸化を組み合わせることで酸化段階の高い官能基を求核的に導入することに成功し、このような方法論を他の基質に対しても展開できる可能性を示すことができた。そこで、同様の考え方に基づいてオキシムの合成を試みることとした(Scheme 4)。オキシムは互変異性体であるニトロソアルカンが速やかに異性化することにより得られることが知られている。ここでニトロソ基は対応するヒドロキシルアミンより一段階分だけ酸化段階が高いため、窒素原子上に1つのスルポニル基を有するヒドロキシルァミンを基質として用いることを計画した。スルホニル基によって活性化されたアミンによる求核置換反応の後にスルフィン酸塩の脱離反応が一回だけ進行する。これによりヒドロキシルァミン部位は形式的に一段階酸化されることでニトロソアルカンとなり、互変異性によってオキシムへと至るという計画である。3-フェニルプロパノール(10)に対してO-TBS-N-トシルヒドロキシルァミン(11)を用いた光延反応を検討したところ求核置換反応は速やかに進行し、対応するヒドロキシルアミン中間体12を与えた。種々の条件を用いて脱シリル化反応と引き続くスルフィン酸塩の脱離反応を行うべく検討を行った結果、フッ化セシウムを用いた場合に目的の反応が進行することで、対応するオキシム体13がE/Z混合物として高収率にて得られることが分かった。そこで本反応の基質―般性を調べるため、種々のアルコールからオキシムへの変換を検討した。2級アルコールを原料とした場合にも求核置換反応は問題なく進行し、ケトキシムが合成できた(Table2,entry2)。また分子内にエポキシドを持っ基質(entry 3)、ベンジル(entries6,7)、アリル(entry8)、プロパルギルアルコール(entry 9)に対して反応を行った際も対応するオキシム体が良好な収率で得られた。また分子内にアルデヒドとケトンが共存している場合、アルデヒドのみをオキシムに変換することは難しい。Entry 11に示すとおり、本法はカルボニル中間体を経由しないオキシム合成法であるため、基質が分子内の他の部位にケトンを有する場合もアルコールのみがオキシムに変換喚される。また通常の反応条件では合成が非常に困難であることが知られているオキシムの合成にも本法は力を発揮する(entry 12)。2',4',6'-トリメチルアセトフェノンオキシムは対応するケトンから合成する場合、通常の弱酸1生条件下では得ることが困難であり、反応の完結には強塩基性条件下にて一ヶ月近くも室温で反応させる必要があることが知られている。しかし我々の方法を用いた場合、対応する2級のペンジルァルコールより3時間程度にて高収率でオキシムが合成可能である。β,γ-不飽和アルデヒドは比較的容易にα,β-不飽和アルデヒドへと異性化してしまうが本法では異性化せずにオキシムへと変換可能であり、変換後の異性化も見られない(entry 13)。またアルデヒド中間体を経由しない利点はα,β-不飽和オキシムの合成においても見て取れる。cis-α,β-不飽和アルデヒドは容易に異性化してtrans-α,β-不飽和アルデヒドとなってしまうことが知られているため、cis-α,β-不飽和オキシムの合成は通常困難であることが知られている。本法を用いた場合は、異性化しやすいアルデヒド中間体を経由しないことからcis-α,β-不飽和オキシムが異性化する心配なく、高い信頼性をもって合成可能できる(entry 14)。

本法の適用範囲を拡大すべく、塩基性条件下での置換反応についても検討した(Scheme 6)。アルキルブロミド、メシラート、トシラートに対して、炭酸セシウムを塩基としてO-TBS-ヒドロキシルアミンを作用させたところ、対応するヒドロキシルアミン中間体を与えた。このとき一部のTBS基が除去されたものも副生したことから反応系内にフッ化セシウムを加えることでスルフィン酸の脱離反応まで一挙に行ったところ、目的とするオキシムが収率よく得られた。

【結論】今回私はスルポニル基の持つ二つの特徴、すなわち窒素原子上の活性化とスルフィン酸として脱離することによる基質の酸化反応を連続して用いることでジアゾ酢酸エステル、及びオキシムの合成法を開発することに成功した。これらの反応により酸化剤を一切使うことなく酸化段階の高い官能基を求核的に導入することが可能である。またオキシム合成においては反応性の高いアルデヒドやケトンなどのカルボニル中間体を経由しないため、今まで合成困難だったいくつかのオキシムについても信頼できる合成法を提示することに成功した。

Scheme 1

Scheme 2

Table 1. Two-step diazoacetylation of alcohols

conditions for bromoacetylalion: a NaHCO3, CH3CN b K2CO3, CH2Cl2 c NaHCO3, CH2Cl2 d pyridine, CH2Cl2, 0℃ e Yield decreased due to the volatile nature of the product.

Scheme 3

Scheme 4

Scheme 5

Table 2. Two-step formation of oximes from alcoholsa

a Standard conditions for Mitsunobu reaction: 1.1 equiv of alcohol, 1.0 equiv of TsNHOTBS, 1.5 equiv of DEAD, 2.0 equiv of PPh3, toluene-THF (3:1, 0.2 M), 0℃. Standard conditions for oxime formation: 2.0 equiv of CsF, MeCN (0.1 M), 60℃. b Isolated yields for Mitsunobu reaction / oxime formation reaction. c Mitsunobu reaction was conducted with 2.5 equiv of DEAD and 3.0 equiv of PPh3, d A minimal amount (1.05 equiv) of DEAD was used because of the unstability of the product to the reagent. e 2.0 equiv of AcOH was added for buffering the basicity. f Mitsunobu reaction was conducted with 1.5 equiv of alcohol and 2.0 equiv of DEAD at 40℃.

Scheme 6

審査要旨 要旨を表示する

現代有機合成化学における一つの目標に、新しい反応性の発見が挙げられる。スルポニル基は一般にヘテロ芳香環の保護基、あるいは水酸基を脱離基へと変換する目的に使われることが多い官能基である。下川はこれらに加えて強い電子吸引性に由来するスルホンアミド基の高い酸性度と、スルフィン酸塩がβ脱離することで基質が相対的に酸化されるという点に着目し、これら二つの性質、すなわち活性化とスルフィン酸塩の脱離による基質の酸化とを組み合わせることにより新たな反応性を見出すことを目的として研究を行った。

1.NN'-ジトシルヒドラジンを用いたジアゾ酢酸エステルの合成

ジアゾ酢酸エステルは金属カルベノイドの前駆体を始めとした多様な目的に用いられる官能基である。C-H活性化反応に対する興味が近年ますます高まる中、その活躍の機会がますます多くなってきていることもあり、新たなジアゾ酢酸エステルの合成法を開発することを目的に下川は反応開発を行った。ここで彼はスルポニル基の持つ二つの性質を組み合わせることにより、求核置換反応を基盤とするジアゾ酢酸エステルの新たな合成法を開発することを計画した(Scheme1)。ジアゾ酢酸エステルのジアゾ基は対応するヒドラジノ基に比べて酸化段階が二段階高いと考えられる。ヒドラジンを直接求核置換反応に用いることは現実的でないことから塩基性条件下における脱プロトン化が容易なスルホンアミド基の性質を活用して求核置換反応を行なうこととしている。またスルポニル基がスルフィン酸塩として脱離するときに基質の酸化段階が一段階高くなることから、酸化段階を二段階向上させるためには二回の脱離が必要であると判断した。そこで、二つのスルポニル基を基質内に有するN,N'-ジスルホニルヒドラジンを試薬として用いることが妥当であると考え、検討を開始した(Scheme2)。N,N'-ジトシルヒドラジンは非常に安定であり、ピリジン塩基性条件下p-トシルヒドラジドとp-トシルクロリドを反応させた後、生成する粗生成物をアセトンから再結晶することで容易に調製可能であることを見出している。本試薬は容易に高収率で合成可能であり、50-gスケールでの簡便な合成法も開発した。また分解点が228℃と十分に高く、室温下でも長期間安定に保存可能であることも見いだしている。プロモ酢酸エステル5を基質として求核置換反応の検討を行った結果、DBUの塩基性条件下N,N'-ジトシルヒドラジンを反応させた場合に、当初の予想通りプロモ酢酸エステルがジアゾ酢酸エステルへと高収率で変換できることが見いだされた。本条件を用いて種々のアルコールからプロモ酢酸エステルを経由するジアゾ酢酸エステルの二段階合成法について検討した結果(rable1)、一級、二級の様々なアルコールまたはフエノールから対応するジァゾ酢酸エステルへの変換が中程度から良好な収率で進行する。また本方法を用いることでα-プロモケトンも対応するα-ジアゾケトンへと変換可能であることも見いだされた。

2.O.TBS-N-トシルヒドロキシルアミンを用いたオキシムの合成

ジアゾ酢酸エステルの合成においてスルポニル基の二つの性質、窒素原子上の活性化及び脱離による基質の酸化を組み合わせることで酸化段階の高い官能基を求核的に導入することに成功した。そこで、下川は同様の考え方に基づいてオキシムの合成を試みた(Scheme4)。オキシムは互変異性体であるニトロソアルカンが速やかに異性化することにより得られることが知られている。ここでニトロソ基は対応するヒドロキシルアミンより一段階分だけ酸化段階が高いため、窒素原子上に1つのスルポニル基を有するヒドロキシルアミンを基質として用いることを計画した。スルポニル基によって活性化されたアミンによる求核置換反応の後にスルフィン酸塩の脱離反応が一回だけ進行する。これによりヒドロキシルアミン部位は形式的に一段階酸化されることでニトロソアルカンとなり、互変異性によってオキシムへと至るという計画に基づいて検討を開始した。3-フェニルプロパノール(10)に対してO-TBS-N-トシルヒドロキシルアミン(11)を用いた光延反応を検討したところ求核置換反応は速やかに進行し、対応するヒドロキシルアミン中間体12を与えた。種々の条件を用いて脱シリル化反応と引き続くスルフィン酸塩の脱離反応を行うべく検討を行った結果、フッ化セシウムを用いた場合に目的の反応が進行することで、対応するオキシム体13がE/Z混合物として高収率にて得られることが見いだされた。そこで本反応の基質一般性を調べるため、種々のアルコールからオキシムへの変換を検討している。2級アルコールを原料とした場合にも求核置換反応は問題なく進行し、ケトキシムが合成できた(rable2,entry2)。また他にもこれまで合成の難しかったものも含むTable2に示す種々のオキシムを合成することに成功している。

本法の適用範囲を拡大すべく、下川は塩基性条件下での置換反応についても検討している。アルキルプロミド、メシラート、トシラートに対して、炭酸セシウムを塩基としてO-TBS-ヒドロキシルァミンを作用させたところ、対応するヒドロキシルアミン中間体を与えた。このとき一部のTBS基が除去されたものも副生したことから反応系内にフッ化セシウムを加えることでスルフィン酸の脱離反応まで一挙に行ったところ、目的とするオキシムが収率よく得られた。

以上、下川はスルホニル基の持つ二つの特徴、すなわち窒素原子上の活性化とスルフィン酸として脱離することによる基質の酸化反応を連続して用いることでジアゾ酢酸エステル、及びオキシムの合成法を開発することに成功した、これらの反応により酸化剤を一切使うことなく酸化段階の高い官能基を求核的に導入することに成功した。またオキシム合成においては反応性の高いアルデヒドやケトンなどのカルボニル中間体を経由しないため、今まで合成困難だったいくつかのオキシムについても信頼できる合成法を提示することに成功した。この成果は薬学研究に寄与するところ大であり、博士(薬学)の学位を授与するに値するものと認めた。

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